【信長ゆかりの地ツアー 一宮~稲沢~愛西編】聖徳寺跡 勝幡城跡

熱田神宮や桶狭間古戦場など、愛知県の信長ゆかりの地はたくさんありますが、ファンなら「もっとマニアックなところに行きたい!」と思うのではないでしょうか?

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当ブログで「安土編」「岐阜編」「愛知編」「京都編」信長ゆかりの地ツアーを巡った私が、2022年12月30日にマニアックな聖地を見てきたので、早速レポしてみたいと思います!!
目次

誕生~少年時代の信長のゆかりの地 愛知県一宮市~稲沢市~愛西市

信長が尾張で生まれ育ったことは、歴史ファンじゃなくてもみなさんご存じのことだと思います。


清州公園の若武者姿の信長像

名古屋市周辺の信長のゆかりの地といえば熱田神宮や清州城は観光地として有名ですし、桶狭間古戦場跡に向かう人も多いでしょう。

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上記の場所は私も行きましたが、この度名古屋を旅するにあたり稲沢市辺りを回ってみようと思い立ちました。

~一宮市~稲沢市 信長ゆかりの地ツアー ルート~

①聖徳寺跡:愛知県一宮市冨田大堀413-5
②善光寺東海別院:愛知県稲沢市祖父江町祖父江南川原57-2
③布智神社:愛知県稲沢市祖父江町本甲宮東4
④勝幡駅(名鉄津島線):愛知県愛西市勝幡町五俵入2266-4
⑤勝幡城址:愛知県稲沢市平和町城之内105
⑥勝幡城跡:織田弾正忠平朝臣信定古城蹟 愛知県稲沢市平和町城之内

 

参考にしたのは、稲沢市の観光ホームページ「信長と稲沢」です。(※よその市にある聖徳寺跡や勝幡駅は載ってません)

稲沢市内の信長にまつわる様々なコンテンツを紹介していて、稲沢市が信長人気にあやかり歴史ファンを観光誘致しようという情熱がヒシヒシと伝わってきますね。(笑)

このルートを車で連れてってくれた稲沢市在住の友人・Mちゃんも「自分の生活圏にこんなに信長ゆかりの地があるなんて知らなかった!」と驚いていました。

信長・道三・帰蝶好きとしては聖徳寺跡は必ず行ってみたかった激アツスポットだし、それに稲沢市内周辺の気になる場所を追加しオリジナルルートを作成しました。

この後津島神社(愛知県津島市神明町1)参拝も予定していたのですが、岐阜県の岩村に移動しなければならなかったので、泣く泣く勝幡エリアで切り上げたのでした。(翌日信長の叔母「おつやの方」が納めた岩村城も行ってきました)

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あぁ、濃尾地方は信長ゆかりの地が多すぎて、とてもじゃないけど回りきれない~!!

このためだけに1ケ月ぐらい濃尾地方に住みたいです。(笑)

↑↑うつけと言われた若き信長が尾張を統一するまでを理解するのにオススメの漫画。

聖徳寺(しょうとくじ)跡

聖徳寺は天文22年(1553)、織田信長と斎藤道三が会見した寺です。

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「聖徳寺の会見」のエピソードは信長と道三の人柄が伝わってくるし、ドラマティックで大好きです。

~聖徳寺の会見~

信長の父・信秀が尾張を治めていた頃は隣国・美濃の道三としょっちゅう戦を繰り返していましたが、病を抱えた信秀は尾張の行く末を案じ美濃と同盟を結ぶことにしたのでした。

道三は信長と会ったことはありませんが、才覚を見込んでいたからこそこの同盟の案を受けたと思われます。

同盟に伴い信長と道三の娘・帰蝶の縁組が決まり、天文18(1549)年帰蝶は織田家に輿入れしました。

しかし結婚後も信長のうつけぶりは変わることなく、婿殿の悪い評判は道三の耳にも入ってきます。

「うつけかどうかこの目で確かめてみよう」と思った道三は信長に会見を申し入れました。

天文21(1552)年に信秀は亡くなっていますし、もし信長が本当のうつけなら同盟を破棄し、尾張を乗っ取ろうと考えていたかもしれません。

道三の目論見を知ってか知らずか信長は快諾し、二人は美濃と尾張の国境の中立地帯にある尾張富田の聖徳寺で会見することになりました。

 

聖徳寺に先に着いた斎藤道三は、正装姿の家臣700~800人を本堂前に整列させておき、自身はわずかな家臣たちと町外れの小屋から信長の様子を偵察しに行きました。

しばらくすると信長の一行が通りがかりましたが、やはり信長は噂通りのうつけないでたち。

ただ、信長隊がお伴衆を700~800人、500人の槍兵と500人の弓・鉄砲隊約500人という重装備な行列だったことや、槍隊に長い槍を持たせていることにも道三は注目しました。

信長軍の長い槍に唖然とする道三(『絵本太閤記』国立国会図書館蔵)

聖徳寺に着いた信長は屏風を立てかけて髪形や服装をさっと正装に改め、見違えるような立派な姿に「うつけの姿は偽りだったのか!」と織田の家臣たちも肝を潰したとか。

威儀を正して登場した信長に驚く道三(『絵本太閤記』国立国会図書館蔵)

道三も信長の変貌ぶりに驚きましたが、信長と共に湯漬けを食べ盃を交わし、「また近いうちにお目にかかろう」と言って会見は終了しました。

 

信長に見送られ帰る時、道三は自身の隊の槍より織田勢の槍の方がはるかに長いのを見て、軍事力の差を目の当たりにします。

稲葉山城へ戻る道中、家臣に「どう見ても信長殿は阿呆でございますな」と言われると、道三はこう答えました。

「だから無念だ。私の息子たちはきっとあの阿呆の門前に馬をつなぐことになる(=信長の家臣になる)だろう」

以後、道三の前で信長をうつけ者呼ばわりする人はいなくなり、織田・斎藤の同盟関係はより強固なものになったのでした。

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聖徳寺の会見は『信長公記』に残されており、ドラマでもよく取り上げられるシーンなので有名ですよね。

大河ドラマ「麒麟がくる」の「聖徳寺の会見」の回のネタバレ感想記事
【麒麟がくる 第14回】信長が道三に認められて嬉しい回

とまぁ、紹介が長くなりましたが、信長ファンなら一度は訪れてみたい聖徳寺跡はこんな感じ。

「跡」の名の通り現在その地に寺はなく石碑と、近くに「聖徳寺跡」のバス停が残っているのみです。

信長ファンとしては、バス停だけでも地名が残っているのは嬉しいものです。

住民の過疎化で将来バスの運行が廃止にならないか心配ですが、なんとか残してほしいですねぇ。

公共交通機関で来る人はこのバスを使うことになるのでしょうが、時刻表を見ると本数も少ないので車で行った方が良さそうです。

近所のオススメ喫茶店「ミリオン」

専用の駐車場はないので、石碑からすぐ隣にある喫茶店「ミリオン」でモーニングやランチを食べて、その後にちょっと寄るっていうのが一番いいんじゃないかなと思います。(私たちが行った時は年の瀬だったので休業中でした)

ミリオンの横にある日本庭園も聖徳時の名残じゃないか?と妄想が膨んだり・・・。(絶対違うと思うけど)

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話は聖徳寺に戻ります。

鎌倉時代の創建時岐阜県羽島市にありましたが、木曽川洪水のため転々とし、愛知県一宮市にあった時に信長と道三の会見が行われました。

その後、聖徳寺は清須、寛永年間に愛知県名古屋市中区錦三丁目に移りましたが、現在は七宝山聖徳寺(名古屋市守山区白山)と八事山聖徳寺(名古屋市天白区八事山)と2つの聖徳寺が存在するそうです。

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お寺が2つに分かれるなんて色々と大人の事情を感じますが、場所が変わっても聖徳寺が今も残っているのはホッとしますね。

聖徳寺跡
所在地:愛知県一宮市冨田

善光寺東海別院

善光寺東海別院は正式名称を双蓮山善光寺(そうれんざんぜんこうじ)と言い、祖父江善光寺や尾張善光寺とも呼ばれています。

善光寺というと長野県長野市の信州善光寺が有名ですよね。(善光寺発祥の地は長野県飯田市にある「元善光寺」とも呼ばれる座光寺)

全国各地に「善光寺〇〇別院」や「善光寺」という名の寺院が存在し、その数200以上、善光寺事務局によると善光寺を正式な寺名としているのは全国で119か寺あるんだとか。

なぜこんなに善光寺がフランチャイズ化されたかというと、以下のような理由が上げられます。

・鎌倉時代に善光寺聖(正規の寺院を離れて、諸国を遊歴する僧侶)が善光寺如来の分身を背負って諸国を行脚し、善光寺信仰を広げたから。

・善光寺如来は権威の象徴とも見なされ、戦国時代大名がこぞって自領に善光寺如来を遷座させたから。(豊臣秀吉が京都の方広寺に遷座させていたのを死の間際に返還してから遷座はされていない)

濃尾地方だけでも、ここ以外に岐阜善光寺や関善光寺があるそう。

善光寺東海別院のパンフレットに創建の由来が書かれていました。

言い伝えによると、天正十年(1582年)織田信長・信雄によって善光寺如来が、岐阜より尾張甚目寺へ御遷座の途中、祖父江付近に立ち寄られたとあり、その場所に明治四十二年・四十三年と蓮田であった境内地に、蓮が一本の茎から二つの花が咲く(双蓮)という奇瑞(きずい)を縁として、開基旭住(きょくじゅう)上人が、信州善光寺本坊大勧進より、善光寺如来を勧請して、善光寺東海別院を創立しました。

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一文が長すぎてちょっとわかりにくいですが、とりあえず信長・信雄父子が立ち寄った縁があるのと、2年連続の双蓮現象をきっかけに明治時代にできたお寺ってことね。

今回私が善光寺東海別院参拝を決めたのは、戒壇巡りの極楽の写真に一目惚れしたからでした。

戒壇巡りというのは、本堂の下に作られた真っ暗な回廊を手探りで進み、安置された錠前や三鈷などを探し当てるものです。

闇の中を進みながら自分自身と対話し、ご本尊と縁を結ぶことで功徳が得られるという他ではできない貴重な体験ができます。

善光寺東海別院の極楽の荘厳(しょうごん)は日本一を誇るきらびやかさで、2018年3月には1年かけて改修した極楽浄土が完成しました。

蓮の花の色の移り変わりを5種類のLEDライトで表現する様子は幻想的で見事でした。

暗いところが苦手な人は無理かもしれませんが、そうでない人は是非この世の極楽を体験してほしいです。

今回ツアーに同行してくれたMちゃんが、善光寺東海東海別院についてジモティならではの話をしてくれました。

・おばあちゃん世代からお寺の名前は聞くし、県道に大きな看板があるから地元民はみんな知っている

・「戒壇」と聞いて階段がたくさんあるのかと思っていた。(笑)

・近くに祖父江緑地という大きな公園があって、そこに子どもを連れて行った帰りになんとなく立ち寄ったことがある。戒壇巡りがあんなに位ところだとは思わなくてビックリした。でも極楽は綺麗だったし行ってみて良かった。

地元民にとって善光寺東海別院は穴場的存在のようです。

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善光寺東海別院では戒壇巡りの他にも見どころがたくさんあります。

黄金が眩しくて、突けば金持ちになれそうな鐘とか、

色違いのニット帽が可愛らしいお地蔵様とか、

横たわる姿がグラビアモデルのようになんだか艶めかしい涅槃仏とか・・・

色々見どころがあるお寺なので是非ご参拝ください。

善光寺東海別院
所在地:愛知県稲沢市祖父江町祖父江南川原57-2
電話 :0587-97-0043
休業日:年中無休
駐車場:無料
公式HP:善光寺東海別院

布智神社

布智神社の存在は、稲沢市の観光ホームページ「信長と稲沢」で知りました。

【布智神社】
信長が武運祈願をし、清須城主もしばしば鎮火・尚武の祈願をしたと伝わる由緒ある神社。
美しい天井画、市指定天然記念物シイノキの群生からなる鎮守の森もあり、心落ち着く場所です。

私が布智神社に惹かれたのは、社殿の天井画の美しさでした。

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ではここから布智神社参拝レポです。

境内の中は鬱蒼とした森が見えます。

「県」が旧字体の「縣」で書かれているので、戦前に作られた注意書きのようですね。

参道の先に・・・

社殿がありました!!

社殿は古そうなのに、天井画は色鮮やかで新しく描かれたものなのかな?と思ったり。

左側には稲荷社の赤い鳥居がありました。

稲荷社の前には門松が建てられ、地元の人にきちんとお祀りされているのがうかがえます。

布智神社の御由緒。

古くからある歴史ある神社のようで織田信長の名前もしっかり載ってます。(笑)

もう一つの出入り口。

こちらの方が道路に面していてわかりやすいですね。

布智神社
所在地:稲沢市祖父江町本甲宮東4

勝幡駅

信長の生誕地には那古野城・古渡城・勝幡城の3説に分かれるそうですが、稲沢市が「信長誕生は勝幡城説」推していたので行ってみることに。

勝幡城跡の最寄り駅である名鉄津島線の勝幡駅の駅前にも信長人気にあやった銅像などがあると聞いて、ここも行かなきゃということで。(笑)

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城跡があるのは稲沢市だけど、駅の所在地は愛西市です。

父・信秀と母・土田御前に抱かれる赤ちゃんの信長。

ぶっちゃけ、両親のお顔は美男美女じゃありません。

ドラマだと土田御前はいつも綺麗な女優さんが演じられてるので、そこはイメージ通りに作ってほしかったな。(↑「麒麟がくる」で土田御前役だった檀れいさん)

銅像の裏に、勝幡城の復元模型が展示されています。

二重の堀で囲まれていた館城で、三宅川が外堀の役目を担っていました。

その城も、江戸時代に行われた日光川の大改修工事で川底に沈んだり、分断されてしまったそうです。

勝幡城は信長の祖父・信定が建てたもので、Wikiには「清洲三奉行の一家『織田弾正忠家』の拠点であり、商業地・津島を支配下に置いた織田弾正忠家の経済力を象徴するような平城となっている」と書いてありました。

銅像から模型を挟んで裏側に信長の絵が飾られています。

碧亜希子さんによる「水郷の吉法師」でうつけ者と言われていた頃の服装ですね。

黄金の郵便ポスト!!

ここで懸賞ハガキ投函したら当たりそう。(笑)

「どこかで見たことある」と思ったら、静岡県の伊藤駅前にもあったな。

 

 勝幡駅(名鉄津島線)
所在地:〒496-8001 愛知県愛西市勝幡町五俵入

勝幡城跡 織田弾正忠平朝臣信定古城蹟

勝幡駅前の駐車場に車を置き、Mちゃんと勝幡城跡に向かいます。(いつの間にか愛西市から稲沢市に入ってるから不思議)

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「勝幡城跡(址)」と名の付くものが近くに2ケ所あるので、どちらも行くっきゃないですね。

まずは、勝幡城跡 織田弾正忠平朝臣信定古城蹟へ。

稲沢市のゆるキャラ・いなっぴーが載ってるってことは、市でも推している史跡なのかな。

駅から10分ほど歩くと、看板が見えてきました。(駅から約750m)

石碑には「勝幡城跡 織田弾正忠平朝臣信定古城蹟」と刻まれています。

~ここで解説~

弾正忠(だんじょうのちゅう):もともと朝廷にあった弾正台だんじょうだいという機関の任に就く人のもの役職でした。
この機関は律令制では、警察や監察のような役目を果たします。

平(たいら):織田家は越前国織田荘にある劔神社つるぎじんじゃ(織田明神)が発祥といわれています。
当初は
藤原氏ふじわらしの流れ(北家利仁流)を名乗っていましたが、途中から桓武平氏資盛流を称しました。

朝臣(あそん):684年に制定された八色の姓(やくさのかばね)の制度で新たに作られた姓(かばね)で、上から二番目に相当します。

奈良時代より時代が下がると、大半の貴族や武士は藤原朝臣、源朝臣、平朝臣などの子孫で占められてしまい、また、武家台頭による下級貴族の没落もあり、朝臣は、序列付けの為の姓としての意味を失ってしまい、公式文書で使う形式的なものになっていったそうです。

「~この城で生まれたとする説が有力である」と書いてあって、稲沢市教育委員会としての立場としては「ここで生まれた」とは言いきってないですね。(苦笑)

石碑の向かいに立派な銀杏の木が立ってました。

Mちゃんが「銀杏は祖父江の名産品だよ~」って教えてくれました。

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こういう時、地元の人来てよかったって思うよね♪

 

勝幡城跡 織田弾正忠平朝臣信定古城蹟
所在地:〒490-1323 愛知県稲沢市平和町城之内

勝幡城址

では、もう一つの勝幡城址に行ってみましょう。

こちらは「跡」ではなく「址」という漢字を使っていて、さきほど訪れた勝幡城跡 織田弾正忠平朝臣信定古城蹟と差別化を図っているんですかね?(もしくは対抗意識を燃やしているのか!?)

勝幡城跡 織田弾正忠平朝臣信定古城蹟から勝幡城址へは徒歩4分。(約300m)

まぁ同じ城内ですからね。(笑)

こちらは「信長生誕を育む会」が運営・管理しているみたいですね。

いなっぴーの銃が消されているのが気になる・・・。

石碑には「勝幡城址 愛知縣」と刻まれています。

石碑の裏側には漢文調の文章が書かれているけど、難しそうなので解読は断念。

石碑の後ろに、消毒液と木槌が置かれていました。

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どういうこと!?

と思っていると、すぐ隣に掲示板が・・・。

右側下部にこう書いてありました。

ここに用意してある「石碑の裏」を「軽く叩いて」みてください。硬質な石と分かります。

冷静にタタクと清々しい〇がします。あなたの音です。

(〇は字が消えてました)

というわけで、木槌を使って石碑の裏側を叩いてみたらいい響きの音がしました。

掲示板には写真付きの説明文がありましたが、文章はさっきのと同じっぽい。

明治時代の勝幡城後の写真は貴重でした。

 

勝幡城址
所在地:愛知県稲沢市平和町城之内105

稲沢市のオススメランチ「ビルズカフェ片原一色店」

Mちゃんのオススメで連れて行ってもらったオムライス専門店です。

ビルズカフェの立地は布智神社から2kmもかからないので車ですぐでした。

↑当時のTwitterのつぶやきです。

東京でも色んなオムライス専門店に行ったことありますが、ここまでソースの種類が豊富なのはビルズカフェが一番なんじゃないでしょうか?

メニューとか写真撮り忘れたので、詳細は公式インスタグラムをご覧ください。

ビルズカフェ片原一色店
電話番号:0587-36-3550
所在地:愛知県稲沢市一色下方町142-1
営業時間:[月・水~日]11:00~21:00(L.O.20:30)・日曜営業
定休日:火曜日、別途2日間指定休業あり
公式インスタグラム:https://www.instagram.com/bills_cafe_katahara_isshiki/?utm_medium=copy_link

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おわりに

以上、「信長のゆかりの地ツアー 一宮~稲沢~愛西編」でした。

今回のツアーをきっかけにMちゃんにも信長愛が芽生えたみたいで「また一緒に行こう」と言ってくれたので、心強い相棒と共に愛知・岐阜周辺の信長ゆかりの地を巡っていきたいと思います。

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是非続編もご期待ください♥

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