【麒麟がくる 第21回】信長が主役になっちゃう桶狭間の戦いの回

2020年5月31日、NHK大河の「麒麟がくる」第21回が放送されました。

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当記事では、ネタバレや感想を書いていきます。
目次

麒麟がくる 第21回「決戦!桶狭間」ネタバレ 感想

前回のおさらい

駿河の今川義元が再び尾張への侵攻を開始。

かつての人質で、成人した松平元康が、その先鋒を任されることになる。

そのことに目を付けた光秀は、この戦を回避させるべく、帰蝶と信長に元康の母・於大と伯父・水野信元と接触をするように仕向ける。

出演者

史実に出てくる人物

明智光秀:長谷川博己
明智秀満:間宮祥太朗

織田信長:染谷将太
帰蝶:川口春奈
佐久間信盛:金子ノブアキ
毛利新介:今井翼

松平元康:風間俊介

今川義元:片岡愛之助
鵜殿長照:佐藤誓
朝比奈親徳:山口馬木也

オリジナルの人物

望月東庵:堺正章
駒:門脇麦
菊丸:岡村隆史

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ネタバレあらすじ

元康の苦渋の決断

尾張に侵入し、大高城に着いた松平元康のもとに、菊丸が運んだ母・於大からの文が届いた。

それは、今回の戦から手を引いて欲しいというものだった。

更に菊丸から、「今、織田側につけば、織田信長が三河のものは三河に返す」という約束もあると聞かされた。

母からも菊丸からも、「今回の戦から手を引いて欲しい」という想いが伝わる元康だったが、三河と尾張の兵を合わせても到底今川には及ばない。

「負ける可能性が高い戦を家臣に強いる事は出来ない」と思った元康は、今は今川に従うしかない事を菊丸に告げた。

信長の作戦

その日の夜明け前、義元から丸根砦を攻撃するように命じられていた元康は、丸根砦への攻撃を開始した。

清須城では織田信長の耳に、「元康が丸根砦への攻撃を始めた」という情報が入った。

そして梁田政綱から、於大と水野信元の元で話し合った作戦は失敗に終わったと聞かされた信長は、「自分は籠城する事を決めた。」と家老たちに伝えるよう命じた。

不安になっている帰蝶と梁田に、信長は考えがあると言った。

「この清須城内にも今川の手先が紛れているはずだ。籠城するというのは嘘じゃ。その間に善照寺砦に兵を集め、そこで今川と戦う。」

そう信長は手の内を明かした。

「今川義元は用心深いので、駿河にも兵を残しているはずだ。

そうなると兵の数は予想より少ないと考えられる。

更に、そこから各方面へ兵を出していると考えると、本軍の兵は思ったより少ないはずじゃ。」

信長は梁田に、今川の本軍の兵数を探るように命じ、その後、善照寺砦で落ち合うと指示した。

今川の本軍兵数は思ったより少ないというのは可能性は高いが、あくまでも予想である。

これは信長の賭けだった。

奇妙丸の存在

信長は不安そうにしている帰蝶を、幼子がいる部屋に案内した。

その部屋にいた2歳の男の子は、信長が吉乃という女性に産ませた自分の息子だった。

名前は奇妙丸という。

帰蝶との間には子供はいないので、自分の跡取りの為に産ませたのだ。

奇妙丸を紹介した後、信長は帰蝶に告げた。

「自分に何かあったら尾張と、この子は帰蝶に任せる。許せ…」

戦況

丸根砦と鷲津砦は、今川軍によって陥落した。

信長は善照寺へ向かっている。

光秀と帰蝶の対面

その頃、明智秀満と光秀は尾張に到着し、清州城に登城した。

光秀は帰蝶に対面し、涙ぐんで奇妙丸を抱いている帰蝶に、「その子は誰か?」と尋ねた。

「天から降ってきた大事な預かりものじゃ」

と帰蝶は答えた。

善照寺砦の作戦会議

そして光秀は、帰蝶に信長の行き先を聞き、秀満と善照寺砦へ急いだ。

 

善照寺砦に向かわせる事が出来る信長の兵は、約3,000人。

しかし、今川の兵は倍以上いると聞いた。

今川軍が清須に来るまでに、何とか今川本軍の兵の数を減らさなければならない。

そこで信長は、桶狭間の近くにある中嶋砦に300人の兵を出陣させた。

義元はその情報を聞き、本軍から中嶋砦へ1,000人を送り込んだのだ。

これで義元の本陣兵は5,000余り。

信長は今川義元一人に狙いをつける事にした。

「狙うは今川義元ただ一人!塗輿が目印じゃ!」

信長はそう叫ぶと、義元がいる今川の本軍めがけて出陣した。

こうして、桶狭間の戦いが始まった。

三河勢の反抗

一方、元康は昨夜から一睡もせず戦っている家臣たちのために休憩を取らせていた。

そこへ、今川の使者・鵜殿長照が訪れ、三河勢に配慮のない強硬的命令を伝えに来た。

疲れ果てている三河勢に対し、「鳴海城へ向かえ。」次は「桶狭間へ行け。」・・・そんな義元の命令に対し、元康はうんざりしていた。

そして、「本日はここを一歩も動かぬ!」と言い張り、出陣を頑なに拒否した。

桶狭間の戦い

桶狭間では、激しい合戦が繰り広げられていた。

「輿じゃ!」

その信長の言葉に、信長兵たちは輿から出て逃げていく義元を追ってゆく。

そしてついに、毛利信介が今川義元を討ち取ったのだった。

「毛利信介!今川義元を討ち取ったり!」

と叫ぶ声が響いた。

こうして、今川軍は敗北した。

光秀の戦勝祝い

光秀が桶狭間に到着し、信長の軍に会った。

信長は光秀に「勝ったぞ」と告げた。

光秀が「お見事でございました。」と言うと、信長は感慨深げに言った。

「わしを褒めてくれるのか?

父も母も兄弟も、今まで誰も自分を褒めなかった。

しかし、帰蝶は何をしても褒める。あれは母親じゃ。」

と、光秀に嬉しそうに話した。

そして、「また会おうと。」言って、その場を立ち去ろうとした。

最後に光秀は信長に尋ねた。

「今川を倒し、次は何をなさいますか。」

と聞いた。

「美濃の国を取る。美濃は帰蝶の里じゃ。帰蝶を喜ばせる。」

「その後は?」

と聞く光秀に

「その後は・・・・・」

と言いながらニヤリとした信長は、そのまま何も言わず光秀の前から去って行った。

東庵と駒の話し合い

今川義元の訃報を聞き、東庵と駒はこれからどうするか話し合っていた。

駒は、元康から文をもらったことを東庵に告げた。

そこには、「16年ぶりに母に会った事、そして信長のはからいで、元康が三河に戻れる事になった事などが書かれていた。」と、駒から聞いた東庵は喜んだ。

そして、「京に戻ろう。」と東庵が言った。

すると駒は、京に戻る前に灸を頼まれている人がいると言った。

それは、あの丸薬を作った老人だった。

老人の家に行った駒は、丸薬の作り方を書いた紙を老人から渡された。

 

その頃、光秀は「誰も手出しが出来ぬ大きな国を作るのじゃ。」という道三の言葉を思い出しながら、馬を走らせていた。

次回以降休止のお知らせ

コロナの影響で、6月14日以降の「麒麟がくる」の放送が一旦休止となるそうです。

以下は、「麒麟がくる」NHK公式HPのお知らせより。

大河ドラマ「麒麟がくる」放送一時休止のお知らせ
新型コロナウイルスの感染拡大防止のため収録を見合わせている大河ドラマ「麒麟がくる」は、以下のとおり、放送を一時休止することとなりましたので、お知らせいたします。

■大河ドラマ「麒麟がくる」 ※「麒麟がくる紀行」含む
6月7日(日)<第21回>の放送をもって、一時休止
毎週日曜・後8時~8時43分/総合ほか

放送の再開時期については、収録再開の状況を見極めながら検討し、決まり次第お知らせいたします。

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代替放送の「1987年の大河ドラマ『独眼竜正宗』撮影の舞台裏を主役・渡辺謙が語る」という企画も面白そうなので、筆者は楽しみにしています。

感想・気付いた点

信長の嫡男・信忠(幼名:奇妙丸)は、どんな人物?

今回初登場の奇妙丸は信長の嫡男で、のちの織田信忠です。

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では、信忠がどんな人物だったのか、ご紹介します。

織田 信忠(おだ のぶただ)は、戦国時代~安土桃山時代の武将・大名。岐阜城主。
織田信長から生前に家督を譲られ織田家当主となったが、本能寺の変で自刃した。

まずは、信忠と、義母・帰蝶の関係から。

帰蝶が信忠を養子とした説や、一緒に岐阜城に住んでいたとされているので、血は繋がっていなくても、ドラマのように親子の絆は深かったように思います。

帰蝶が信長に輿入れしたのが天文18年(1549年)、信忠の出生が弘治3年(1557年)なので、帰蝶が信長の正室となってから8年後に生まれたことになります。

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「信長が帰蝶との子を待っていたのに恵まれなかったので、他の女性に子どもを産ませた」・・・という見方もできますが、当時は後継ぎをどんどん産まなければいけない時代だったので、信長が特に帰蝶に義理立てをしていたとは思えないですね・・・。

 

ドラマの中で信長は、信忠の生母を「吉乃(生駒の方とも呼ばれる)」と言っていますが、今までそれが定説とされてきました。

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しかし、さっきwikipediaを見たら「その説は信憑性に欠ける」と書いてあり、驚きました。

出生については、『武功夜話』や『寛政重修諸家譜』により、織田信雄と徳姫の母である生駒吉乃を実母とし弘治3年(1557年)に生まれたとされてきたが、近年では多くの矛盾が指摘されており、結論が出ていない。

『武功夜話』によると、弘治元年(1555年)正月に尾張国丹羽郡小折(現在の愛知県江南市)の生駒屋敷で信忠が生まれたとあるが、生駒吉乃の亡夫(土田弥平次)の討ち死には弘治2年(1556年)9月でありこの記事には矛盾がある。

『寛政重修諸家譜』では、弘治3年(1557年)に母・吉乃より清洲城で信忠が生まれたとされる。
しかし永禄元年(1558年)3月に信雄が生まれており、例え寡婦となった直後に信長が見初めたとしても、弘治2年9月から永禄元年3月の18か月間で2人の子供が生まれるという矛盾が生じる。

吉乃が、信忠・五徳(家康の嫡男・信康正室)を産んだのは間違いないようです。

しかしなぜ、矛盾が生まれる「信忠の生母も吉乃説」が出て、一般に広まったのか・・・。

ここからは筆者の推測ですが、江戸時代以降も栄えた信雄の子孫と、生駒氏によるものではないかと思います。

「織田信忠=信長の嫡男で正当な後継者であり、本能寺の変で自刃した悲劇の武将」・・・その生母が生駒氏であれば、信雄は同腹の兄弟といえるし、生駒氏はより箔が付くでしょう。

なので、後世にそう伝わるよう広く伝播させたのではないか・・・と推測しました。

 

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信長の嫡男だけあり、信忠の逸話はたくさん残っています。

出生した時、顔が奇妙であるということから、信長より奇妙丸という幼名を与えられたという。幼い頃から家督相続を約束されていた信忠は、信長から雑用を一切させないなどの厚遇を受け、武将として出陣する前から信長の戦に連れられ、闘いを学んでいた。父・信長が足利義昭より尾張守護の斯波家の家督を与えられた折に、自らは辞し息子信忠に斯波家を継承させたともいわれる。

天正9年(1581年)の京都御馬揃えの際、織田家一門の中における序列は第1位であった。また、信長存命中は形式的ながらも家督を譲られており、父がかつて礎としていた尾張と美濃の統治を任されていた。

父に忠実だったイメージが強いが、播磨三木城攻めの時には督戦に来た信長に作戦をめぐって抗弁した。また「人間五十年」で有名な『敦盛』など、幸若舞を好んだ信長に対して、信忠は能狂言を異常なほどに好んだ。徳川家康を通じ、稀少であった世阿弥の著作を入手したりもしている。また、伊勢松島で群集を前に能を演じたとの記録もあり(勢州軍記)、信忠の能の腕は「手前見事」と評されるほどの腕前だった(『当代記』巻2)。ただし信長は武将たる者が能を好む事を嫌い、「およそ舞楽は金銀の無駄であり、家業を忘れ、国が乱れる本である」と述べて天正8年(1580年)に信忠から能道具を取り上げて謹慎させた(『勢州軍記』巻下)。

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信長ファンだと、「本能寺の変の時、せめて信忠だけでも生き残っていれば・・・」なんて思ってしまったりします。(織田家の人間に天下を取ってもらいたかったので)

麒麟がくるの「桶狭間の戦い」であれ!?と思ったこと

私は信長好きなので、信長に関する小説、漫画、ドラマは色々見てきたので、「桶狭間の戦い」についてはそれなりのイメージが出来上がっていました。

しかし、「麒麟がくるの桶狭間の戦いは、今までとちょっとイメージと違うな」と思った点が2つあったので、話してみたいと思います。

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その1.熱田神宮に戦勝祈願のシーンがない

小姓衆5騎のみを連れて出た信長は8時頃、熱田神宮に到着。

その後、軍勢を集結させて熱田神宮に戦勝祈願を行った。

↑こういうイメージなのですが・・・。

あまり神仏を信仰してなさそうな信長ですが、きっとこの行為は家臣たちを鼓舞させる目的と、織田家の信仰が厚く、また大きな取引先であった熱田神宮への義理立てもあるのかな?なんて思ってます。(父・信秀の代の時、熱田神宮の神官を陣に呼んでましたよね)

実際、桶狭間の戦い後、信長は戦勝のお礼として熱田神宮に築地塀を寄贈し、境内には現在も「信長塀」が残っています。

結論としては、「麒麟がくる」の信長も熱田神宮に参拝はしたけど、ただそのシーンがなかっただけと思いたいです。

 

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その2. 桶狭間の合戦中、ずっと豪雨じゃなかったの!?

今まで私が見た描写では、「ずっと雨が降っていて、今川軍の兵士たちが油断して休憩しているところに、織田軍が急襲する・・・」というものばかりでした。

でも、「麒麟がくる」では、雨が止んだ後の晴天の時に、織田軍は今川軍(※それでも休憩中)に攻め込みました。

「なぜ、雨を降らせなかったのか!?」・・・その謎の答えもWikipediaに載ってました!!

最近の研究では「地形的に奇襲ではなく、雨も止んでからの戦闘」だったともいわれている

桶狭間の戦いの本戦についても、根本的な「どこで、どのように行われたか」という点において議論となっている問題がある。
桶狭間の戦いの経緯については太田牛一『信長公記』、または『信長公記』を発展させた小瀬甫庵『信長記』において具体的に著述されているが、双方の記述には多くの相違が見られる。
一般的には『信長公記』が記録性が強く、『信長記』は甫庵自身の史観による改竄が見られ史料価値は低い。
ただし太田牛一も合戦の実情を直接見聞したという確証はなく、『信長公記』における桶狭間合戦も「天道」思想の下で義元の敗死を著述しており、牛一自身の史観が反映された著述であると考えられている。

ちなみに筆者は「信長ゆかりの地巡り」と称して、桶狭間古戦場跡や熱田神宮、清州城などを見に行きました。

良かったらそちらのレポートもご覧ください。

【織田信長ゆかりの地ツアー】清州城 熱田神宮 桶狭間古戦場跡

なるほど、研究が進むと、天候一つ取っても、色んな説が出てくるんですね。

私たちのような歴史ファンは、つい従来の固まったイメージで見てしまいがちですが、もっと柔軟な気持ちで楽しまなければと思いました。

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終わりに

以上、「麒麟がくる」第21回のネタバレ、感想レポートでした。

コロナの影響で来週以降しばらく「麒麟がくる」の放送はお休みとなりますが、この機会に過去の放送や、私の過去記事を見て復習していただけたらなと思います。

Sayulistによる「麒麟がくる」ネタバレあらすじ・考察記事

【麒麟がくる 第一回】ネタバレ 感想 タイトルの由来が明らかに

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次回もお楽しみに☆

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この記事を書いた人

1979年生まれ。
兵庫県出身、現在は東京で夫と2人暮らし。
執筆家。

音楽、旅行、歴史、東京での生活をこよなく愛す。
特技は、合気道二段と仏語検定準2級。
宅建合格者だが宝の持ち腐れ。
趣味は、ライブとカラオケ。
極度の寒がりのため、冬だけ南国に住むのが夢。

ライター実績:旅行サイト「トリップパートナー」、松本市行政サイト「はぐまつ」。

恋愛小説「フランス恋物語」がお薦めなnoteも、是非ご覧ください。
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