【hide】長年のファンが魅力と愛を語る③(1998~2020)

当記事は、「28年間hideを愛してやまないファンが、hideの魅力と愛を語る」企画第三弾である。

目次

hideが好きすぎて辛い とにかく愛しい③

hideを28年間愛するファンの使命

私は、1992年中学生の時にhideに恋をしてから、ずっと彼を愛し続けている。

当記事では、

「1992年にhideと出会って、hideが亡くなる1998年までの6年間”を一緒に過ごせた自分はとても幸せ者だ。」

その貴重な体験と思い出を独り占めするのはすごい罪ではないか」

と思う筆者が、hideとの思い出を振り返りながら、彼の魅力と溢れる愛を語りたいと思う。

今回は、1999年~2020年までを振り返る。

1998年hideが急逝した後、翌年の1999年~2020年現在、hideファンである筆者が、どのようにして彼の死と向き合ってきたのかについて書いてゆきたい。

松本秀人は、X JAPANのギタリストとして活動時はHIDE、ソロ名義の時はhideと使い分けていた。

当記事では混乱を避けるため、”hide”表記で統一することをご了承いただきたい。

1999年 聖地巡り【L.A.編・国内編】

音楽との向き合い方

1998年5月2日。

hideが亡くなったと聞いた時は、号泣した。

あんなに大好きだった人が突然いなくなるんて、信じたくない。

こんなに悲しいことがあるだろうか。

築地本願寺で告別式があると聞いて、東京に住んでいる友人を頼って上京した。

写真の日付は、1998年5月7日。

友人のバイト仲間だというhideファンの人を紹介してもらって、一緒に並んだのを覚えている。

暑い中、長い行列を一緒に並んでくれる話し相手がいたのはありがたかった。

覚えている光景が、隅田川沿いで並んでいたら、遊覧船に乗った修学旅行生たちが呑気に私たちに手を振ってきたことだ。

思わず手を振り返してしまって、一瞬その時だけ心が和らいだ記憶がある。

本願寺に着いて献花を終えて、ファンらしいことはできたかな?と思ったことくらいしか覚えていない。

あの時は現実を受け入れるのに精いっぱいだったと思う。

 

hideがいなくなってしまってから、私の心は闇の中にいた。

あんなに好きだったX JAPANやhideの曲は聴けない、ビデオも見られない。

そんなことをしたら、hideがこの世にいない現実を思い出すことになるから・・・。

私はX JAPANやhideとの楽しかった思い出や大好きな気持ちを一旦封印し、心の鍵をかけた。

いつその鍵を開けられる日が来るのか・・・そんなことを考えられる余裕さえなかった。

 

とはいえ、私は音楽好きなので、他のアーティストに没頭することで、悲しみを紛らわそうとした。

でも、どんなに素敵なアーティストを見付けても、思春期に私を虜にしたhideの存在はやはり別格だった。

この表情とか好きすぎてやばい。

私にとって、hideはアーティストとしてだけでなく、一人の人間として、そして男性としても、絶対的な存在だった。

聖地巡り【ロサンゼルス編】

当時、アメリカ・ロサンゼルスに住む友人がいた。

彼は私がhideファンということを知っていて、「もしロサンゼルスに来ることがあったら、hideとゆかりのあった場所を案内してあげるよ。」と言ってくれた。

私は「こんなチャンスはない」と思い、1999年の夏休みに妹と友人を連れて、彼の元に押しかけた。(妹や友人はhideファンではなく、ただの観光目的だったが)

ロサンゼルスの友人に連れて行ってもらったのは、この3ケ所。

 

1.生前hideが住んでいたと言われているマンション「Versailles」。

(2と3は、この動画で紹介)

2.hideがオフショット用のビデオで紹介していたレストラン「JERRY’S FAMOUS DELI」。

 

3.hideが愛用していたアクセサリーを販売している「ネクロマンス」という名前のアクセサリーショップ。

※縦の写真を3枚並べたもの

まさか自分がロサンゼルスのhideゆかりの地に行けると思ってなかったので、その友人に出会えたことに感謝した。

聖地巡り【国内編】

聖地巡りをしたからといってhideを失った傷が癒えるわけではないが、少しでもhideと繋がりのある場所に行きたいと思い、私は行動を始めた。

この頃、X JAPANファンのメーリングリストに入って情報交換をしていた。

その中でhideファンの関西在住の女性と友達になり、私も関西に住んでいたので、「一緒に東京や横須賀のhideの聖地巡りをしよう。」という話になり、1999年3月に1泊2日で私たちは行ってみることにした。

1.当時のドブ板通り

2.hideの母校である逗子開成高校

3.LEMONed SHOP

4.ハリウッド美容専門学校(六本木ヒルズに移転する前)

他には、築地本願寺やhideが生前住んでいたと言われる南麻布のマンションも見に行った。

横浜在住の友人が、hideの実家と三浦霊園は連れて行ってくれるというので、お言葉に甘えることにした。

hideの実家に行き、この時初めてお母様とお話しした記憶がある。(ノートの寄せ書きも書いた)

帰りに雨が降り出して、お母さんが「傘持って帰りなさい。」と言ってくださったが、友人の車で来たので遠慮したのを覚えている。

地方から来た人間なので傘を借りても返せないのに、そんなことを言ってくれるなんてなんて優しい方なんだろうと感動した。

2000年 hide MUSEUM in 横須賀

「姉がhideと同級生だった」という横須賀の人と知り合う機会があり、hideゆかりの地を案内してもらった。

旗の下部に「KEIKYU」と記載。

 

1.三浦霊園。2000年撮影したもの。

↓近年見られるお墓は、後で建てられたことがわかる。(2019年筆者撮影)

 

2.hide MUSEUM

【hide MUSEUMで覚えていること】

・「限界破裂」の歌詞のメモが展示されていて、タイトルの元ネタが「面会謝絶」だったこと

・「MISARY」の「君の小さな体包んでる夢は 痛みを飲み込み 鮮やかになる」とhideの歌声が聴こえるコーナーがあって感動した

・トイレがギーガー仕様でhideっぽいな~と思ったこと

 

3. hideが通っていたことで知られるヤジマレコード本店。

(※2017年7月31日に惜しまれつつ閉店)

hideのサインやポスター、POPなどがあり、hideファンにはたまらない空間だった。

 

4.横須賀のどこで撮ったのか不明だが、hideのUFOキャッチャー。

 

5.どぶ板通り

 

6.翌日、東京の友人と原宿のLEMONeD SHOPに行った。

※築地本願寺も行った記憶があるが、写真は残っていなかった。

2001年~2007年 空白の期間

この間、hideに関して語れる記憶はない。

※プライベートでは、関西から東京に転居して、ライブやイベント等に行きやすくなった。(現在に至る)

2008年 攻撃再開 2008 I.V.〜破滅に向かって〜

「X JAPAN復活ライブ決定」のニュースに、私の胸は躍った。

「行かない」という選択肢は、絶対ない。

ネットの「チケット譲ります」コーナーを探すと、定価でチケットを購入する幸運に恵まれた。

私が行くことになったのは、2日目の公演である3月29日の「無謀な夜」だった。

ライブは、1曲目から最後の曲までずっと泣き通しだった。

YOSHIKIがこだわったというhideのホログラム演出はすごかったが、hideがこの世にいない現実から目を反らすことはできない。

それでも、X JAPANのライブを体験することで、hideを失った悲しみより、「X JAPANと、hideと出会えて良かった」という気持ちが上回ったことを実感できた。

私はやっと、”X JAPANとhideを閉じ込めた心の鍵”を開けることができたのだ・・・。

 

この日以降、私はX JAPANのライブがあれば、東京近郊の公演は必ず参戦している。

2009年 X JAPAN SUGIZOの加入

5月1日、再結成公演以来サポート・メンバーとしてステージで演奏していたSUGIZOが「6人目のメンバー」として正式に加入したことが、X JAPAN公式サイトで発表された。

以下は、X JAPAN加入についてSUGIZOのコメント。

親愛なるみんなへ。

みんなに伝えたい事があります。今回、俺SUGIZOは正式にX JAPANに加入することとなりました。
みんなも少なからず既にそう気づいていたかもしれないね。
去年から何度も熟考を重ねた結果、今回この答えに行き着いたんだ。

日本のRock史上ひとつの最も偉大なバンドの夢を成就させる道程で、俺の存在を必要としてくれているのであれば、俺の存在で華を添えることができるのであれば、それは光栄なことだ、と。
天国のhideさんの意思を可能な限り感じとって、この答えに行き着いたんだ。
去年からそうだったように、俺はこれからもあの人と一緒にステージに立ち、あの人の存在を、息吹を、この身体を通してみんなに届けたい。
それが俺がX JAPANのステージに立つ意味。
そして同時に、どうやって自分の色を、自分の表現を加味させることができるか。
プレイヤーとして、パフォーマーとしていかに進化していけるか。
それは俺にとって貴重な経験が重ねられる場であり、最高の学びの場でもある。

俺は音楽そのものを愛している。
音楽に生かされていると思っている。
ジャンルという枠はもちろん、国と国のボーダーを超えて、そしてバンドという形態をも超えてあまり前例のないことかもしれないけど、俺はただ「音楽」に全身全霊を注いで生きていきたい。
そのために存在したい。
そして今、X JAPANは6人目のメンバーとしてSUGIZOを必要としてくれている。
俺は謹んでその申し入れを受けようと思う。
俺はこの一瞬に自分のすべてを注いで生きていきたい。
俺はただ流れに身をまかせるだけ。
音楽に身をまかせるだけ。
ただそれだけ。

今までと同様に、いやそれ以上に俺はソロアーティストSUGIZOとして、LUNA SEAとして、JUNO REACTORとして、そしてX JAPANとして、全身全霊で歩んでいきたい。

親愛なるみんな、これからも共に生きていけたら心から嬉しい。

with Love、
SUGIZO

Sayulist
私は、X JAPANが復活した時から、「ずっとhideの後継を不在のままにするのは無理だろうなぁ」と思っていたし、もし誰か選ぶならやはりSUGIZOがいいなと思っていました。

無敵な2ショット☆

LUNA SEAはhideが見出したバンドでX JAPANの弟的存在だし、私もそうだが、X JAPANとLUNA SEA共通のファンは多い。

そしてLUNA SEAは名実ともに日本を代表するビッグバンドだし、なんといってもSUGIZOは超カッコイイ!!(しかもhideと同じ赤い髪)

初め、SUGIZOはhideの後継ギタリストのオファーを断っていたという。

でも、再度頼まれて「客観的に見て、hideさんの後を継げるのは自分しかいないのではないか?」と思い直し、承諾したというエピソードを聞いた。

彼はX JAPANのモンスターバンドぶりや、hideの絶大なる存在感を誰よりも知っているからこそ、この決意についてはすごい覚悟だったんだろうと思う。

「90年代の過去の曲はhideさんのチャネラーとして、自分の個性は消して弾いています」という言葉に、SUGOZOのプロ意識とhideへの最大のリスペクトを感じた。

Sayulist
私は、LUNA SEA・X JAPAN双方で活躍するSUGIZOを、心から応援しています。

2013年 hide MUSEUM in お台場

6月29日~7月28日の期間限定で、お台場でhide MUSEUMが開館すると聞いて行ってきた。

横須賀のhide MUSEUMに比べてしまうと規模は小さくなってしまうが、それでもhideの衣装がギターなどが見られるのはすごく嬉しかった。

今回のイベントで注目を集めた、等身大のhide人形。

ツアートラックもhideらしくていい感じ。

 

USJの大阪会場では、hideの愛車のキャデラック・通称”くじら”も展示されたらしい。

Sayulist
私はUSJは行けなかったので、羨ましいです・・・。

2014年 アルバム『子ギャル』

hide没後、「HURRY GO ROUND」までシングルは買ったが、自分の中では「これがhideの最後のシングル」と思っていたので、それ以降にリリースされた「In Motion」「JUNK STORY」は買わなかった。

でも、アルバム『子ギャル』に、新曲「子ギャル」に加えて、「In Motion」「JUNK STORY」も収録されるというので買ってみることにした。

↑こちらの初回限定版だと、全17曲入りのCD+20曲分のMVがTV収録映像が入ったDVD付きなのでオススメ。

アルバム『子ギャル』

2014年12月10日にhide生誕50周年記念アルバム『子 ギャル』として発売され、新曲「子 ギャル」に加え、今まで発売されたシングルのA面15曲を収録している。た。
『Ja,Zoo』制作時にデモ音源だけを残し急逝してしまったhide。 音源としては未発表だったが、過去には『Ja,Zoo』のツアーでも演奏されており、ライブDVDにも収録されていたため、存在する事や名前は度々上がっていた。
残された「子 ギャル」のデモ音源を元に、生前発表した曲から声のみを使用し、VOCALOIDの様に言葉を1音1音を歌詞に合わせ繋ぎ合わせた。
それでも足りない部分を、現時点で未公表とされるYAMAHAのボーカロイドの新技術を採用し完成。
これにより、完全に幻の曲は「ZOMBIE’S ROCK」のみとなった。 本作のブックレットの最終ページには、Ja,Zoo is complete.と記載されている。(hide手書きのトラックリストも記載、順番は98年にリリースされたものとは異なる。)
初回限定盤、通常盤共通で、「hide“スペシャル怪人カード”第7弾」1枚(全5種)がランダム封入。
本作でオリコン週間アルバムチャート2位を獲得、『hide SINGLES 〜Junk Story〜』以来、12年振りとなるトップ3へランクインを果たした。

・・・hide没後に、時代を経て音源をリリースするのが正解なのかどうかは、hide本人にしかわからない。

(「コギャル」という言葉が流行ったのは1990年代半ばで、もし今のhideが生きていたらタイトルを変えてそうな気がする。もしかしたら、もっと大幅にサウンドを変えたり、没にすることだってあったかもしれない)

だからといって、ここに至るまでのI.N.A.の苦悩を思えば、決して批判することはできないし、その苦労や強い意志には敬意を払いたいと思う。

ファンとして嬉しかったのは、hideの懐かしくて新しい歌声が聴けたことだ。

でも聴いているうちに切なくなってしまって、あまり聴けないでいる・・・。

2015年 映画「JUNK STORY」

映画「JUNK STORY」が公開されたので、映画館に観に行った。

「JUNK STORY」あらすじ

hide 50th anniversary FILM 「JUNK STORY」は、生前のhideを知る人物へのインタビューや、生前のhideの映像や肉声を通じて、33年というあまりにも短すぎるhideの生涯を振り返る物語。
hideの作った音楽や優しいロッカーといわれたhideの人間性、そして彼が持っていた独自の精神世界を追ってゆく。
125分という時間の中で、hideの33年の生涯を親交のあった人達のインタビューで蘇ってゆく。

これはhideの”ピース”を拾い集める旅・・・。

X JAPANのメンバーやSpread Beaverのメンバーなど、hideファンならお馴染みの人々によるhideについての回想インタビューが聞けたのが良かった。

没後17年という歳月が経ったからこそ、彼らもインタビューに答えられたのかなと思う。

一番印象に残ったのは、PATAの言葉だった。

長年X JAPANのギターの相方であり続けたPATAだからこその、hideとの強固な信頼関係や仲の良さが感じられてグッときた。

2017年 映画「WE ARE X」

映画「WE ARE X」が公開されたので、映画館に観に行った。

Sayulist
大画面でライブ映像が観られるのが嬉しくて、5回も映画館に足を運びました。

「WE ARE X」あらすじ
世界への挑戦、脱退、解散、HIDEとTAIJIの死、Toshlの洗脳、YOSHIKIの決意――そして復活。
バンドを襲ったあまりにドラマチックな悲劇の連鎖。結成後30年以上に渡って生み出されてきた、想像を絶するX JAPANの<熱狂>と<狂乱>の歴史。
そこには精神的にも肉体的にも彼らが抱えてきた悲嘆と痛みがある。
栄光と挫折、生と死、解散と復活。日本の音楽シーンの頂点に君臨する彼らの挑戦の軌跡――。
マディソンスクエアガーデンでの舞台裏を追いながら、クライマックスでは息をのむ圧巻のステージが待ち受ける。
『WE ARE X』はこれまでにない近さで、心に深い傷を負いながらも走り続ける彼らの光と闇に迫る

「WE ARE X」の主役はX JAPANのリーダーであるYOSHIKIで、彼の半生を中心に物語は展開してゆく。

しかし、X JAPANを語る上でhideの存在は欠かせないものなので、この映画でも彼の死は大きく取り上げられている。

hideの葬儀のシーンを初めて観た時は、何度も見た風景なのに胸が潰れそうだった。

 

YOSHIKIは「この映画を初めて観た時は。涙が止まらなかった」と言っていた。

ファンにとっても、「WE ARE X」は激しい痛みを伴う。

でも、復活ライブと同様、ある意味ショック療法的な映画だとも私は思った。

「WE ARE X」を見れば、「いつまでも現実から目を背けていてはいけない、残された者は亡くなった人の分まで強く生きていくしかない」と考えさせられる

 

・・・でも、最後にYOSHIKIはこう語っている。

「すべてはこの世から消え去っていく。なのに、心の痛みは消えない。」

私も、YOSHIKIのその感情とまったく同じだ。

・・・大事な人を失った心の痛みは、決して消えることはない。

2018年 映画「HURRY GO ROUND」・I.N.A.サイン会・聖地巡り

映画「HURRY GO ROUND」

映画「HURRY GO ROUND」が公開されたので、映画館に観に行った。

「HURRY GO ROUND」あらすじ

1998年hideが突然、旅立ってから20年を数える今年。
“hide 20th Memorial Project”の一環として公開されたのが、映画「HURRY GO ROUND」。
hideが生まれ育った横須賀、そして制作した最後の楽曲「HURRY GO ROUND」が生まれた地であり、旅立つ3ヶ月前にまで滞在していたアメリカ・ロサンゼルスなど、hideが実際に過ごした地を、hideについてほとんど無知であった「hide初心者」の俳優・矢本悠馬(やもとゆうま・28)がナビゲーターとなって、その足取りを辿るドキュメンタリー。

ナビゲーターとなる俳優の矢本悠馬がミスキャストではないか?という意見も見られ、ファンの間では賛否両論だった映画だが、確かにその評判は否めない。

どうせなら、hideファンの有名人とか、hideを敬愛するロックミュージシャンとか、なぜそういう人を器用しなかったのか?と思ってしまうだろう。

そんな中、監督が矢本悠馬を選んだ理由は、「既存のファンだけではなく、hideを知らない人にも見てほしいから、敢えて同じ視点に立てるhide初心者にナビゲーターを任せたい」という意図があったのではないか?と思った。

それは理解しているつもりでも、hideの事務所から貴重な資料を彼に貸与するのは、ファンからするともったいないと思ってしまった。

 

Sayulist
・・・とはいえ、横須賀のどぶ板ストリートのhide行きつけの店紹介などもあるので、これからhideの足跡を辿りたいファンには一見の価値がある映画だと思います。

I.N.A.『君のいない世界』出版記念サイン会

長年のhideの片腕として支えた共同プロデューサー&プログラマー、またSpread BeaverのメンバーでもあるI.N.A.が、hideとの思い出を綴った本を出版すると聞いた。

『君のいない世界』あらすじ

1998年5月2日(享年33才)、不慮の事故により志半ばで永眠したX JAPANのギタリストであり、ソロアーティストの“hide”。
常に革新的でオリジナリティに溢れたhideの音楽とライブパフォーマンスは、幅広い世代に愛され続け、その人気は、没後20年を経た現在でも衰えることを知らない。
彼に魅了された人々は音楽ファンだけにとどまらず、多くのアーティスト達が圧倒的なリスペクトを寄せている。

「I.N.A.ちゃんの才能を、俺だけのために使って欲しいんだ」

そんなhideの音楽のバックグラウンドには、必ず共同制作者I.N.A.の姿があった。
X JAPANのマニピュレーターとしてhideと出会い、彼のソロ活動をはじめ音楽活動のすべてを支え、共に楽曲を作り続けたI.N.A.だけが知る、hideの人柄、音楽 に対する真摯な姿勢と想い。
これまで誰にも語られることのなかったhideの姿が、いま浮き彫りになる。

紀伊国屋書店新宿本店で、I.N.A.の出版記念サイン会が行われると聞いて、夫婦で見に行った。

私の中では、1998年の”Spread BeaverのメンバーとしてのI.N.A.ちゃん”が最後に見た姿だったので、20年経ったI.N.A.はそれなりに年を取ったなと思った。

もちろん、その分私も年を取っている。

こういう時、hideはずっと若いままでずるいなと思う。

この日はすごく暑くて、I.N.A.が観客の体調をすごく心配してくれたのが、hideみたいに優しい人だなと感激したのを覚えている。

夫が急に「自分の分も名前を書いてもらいたい」と言い出したため、サインを書いてもらう時に2人分の名前をまとめて書いていただき、気を遣わせて申し訳なく思った・・・。

Sayulist
でも、ちゃんと書いていただき、I.N.A.さん、ありがとうございました。

本の感想は、hideとずっと一緒にいたI.N.A.だからこそ語れる、今まで知らなかったhideの素顔をたくさん知ることができて良かった。

きっとhide亡き後の虚無感はとてつもないものだったと思うし、hideが残した音源をリリースしたことへの葛藤やバッシングも相当なものだったと思う。

それでも彼は、hideとファンのために、悩みながらもhideのやりかけた仕事を最後まで責任を持って形にしてくれた。

I.N.A.には、心から「ありがとう」と「お疲れ様」を言いたい。

三浦霊園・横須賀の聖地巡り

友人で新たにhideファンになった人がいて、「聖地巡りに行きたい」と言うので、久しぶりに行くこととなった。

2019年 X JAPANファンコミュ開設・レモネードショップ

LINEオープンチャット・X JAPANファンコミュ「運命共同体」開設

8月にLINEオープンチャット開始に伴い、Mr.Xさんと共同で、X JAPANファンコミュ「運命共同体」を開設。

X JAPANのファンがメンバーへの愛を語ったり、情報交換をしたり、楽しい交流の場を提供できるよう管理者として努めている。

レモネードショップ 衣装展示

12月、「hideの衣装が期間限定で展示される」と聞いて、久しぶりにレモネードショップに足を運んだ。

2020年 hideとの思い出を振り返る

雑記ブログ「サユリスト.com」を始めて2年になるが、今まで好きすぎて避けてきたhideと向き合う記事を書いてみた。

第一弾・第二弾と書き、第三弾である当記事で完結する。

Sayulist
今回は落ち着いて書けましたが、第一弾・第二弾は涙なしでは書けませんでした。

これからも、生きてる限り、私はhideを想い、愛し続けてゆくだろう・・・。

次回予告

今後は、hideの楽曲について解説や感想などを書いていこうと思う。

次回は、hideソロデビュー作「EYES LOVE YOU」「50%&50%」レビューの予定。

Sayulist
一緒にhideの魅力を再確認していきましょう。

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この記事を書いた人

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