前回記事では、茨城・阿見町の予科練平和記念館体験レポートを書きましたが、当記事ではその隣にある雄翔館と雄翔園をご紹介します。
阿見町 雄翔館と雄翔園
雄翔館とは
予科練出身者により設立された記念館。 予科練戦没者の遺書・遺品約170点を収蔵、展示しています。
雄翔園とは
雄翔園には予科練之碑・歌碑等があり、国難に殉じた若人達の威徳を伝える庭園です。
体験記
予科練平和記念館について調べていると、近くにある予科練戦没者の遺書・遺品を納めた雄翔館の存在を知り、絶対行きたいと思いましたし、雄翔館の隣にある雄翔園も一緒に行ってみることにしました。
雄翔館・雄翔園への行き方
車は、予科練平和記念館の無料駐車場に停めて下さい。
予科練平和記念館の左側・回天の模型前を通り過ぎ、さらに奥へと進み、陸上自衛隊・武器学校の敷地に入ってください。その中に雄翔園と雄翔館があります。
守衛の自衛官がいますが、手続き不要なので挨拶をしてお入りください。
雄翔館の外観
雄翔園の方が手前にあるのですが、先に本命の雄翔館に行きます。
雄翔館全景
近代的な造りの予科練平和記念館とは違い、昭和の公民館のような印象。(建物の形はは航空母艦をイメージしているとのことですが・・・)
門番のように立つ右側の銅像は、海軍元帥・山本五十六です。海軍航空隊育ての親です。
スロープ左側には、日米友好の石碑が置かれています。真ん中の旗はハワイ州のものなので、真珠湾攻撃について触れているのかな?(ちゃんと確認してこなくてすみません)
「終戦後の現在は、日本とアメリカは友好国ですよ」「戦争を恨んで国を憎まず」といったところでしょうか?
雄翔館の内部
※2019年8月現在、館内は撮影禁止なのでパンフレットの写真を載せています。
雄翔館は無料で入れます。
内部に入ると、壁にはびっしりと予科練の戦没者の情報を載せたパネルが並んでいます。
パネル内の情報は、以下の内容が記載されていました。
・戦没者の写真
・氏名
・出身地
・期別(第〇期〇種飛行予科練習生)
・所属部隊(第〇海軍航空隊)
・戦没日・戦況(どのような状況で戦死したか)
・家族に充てた手紙や遺書の抜粋文
このパネルは膨大な数ですが、それぞれにドラマがあり、戦没者とその家族の状況を想像しながらくまなく見ていきました。
彼らの遺書には、
・今まで自分を育ててくれた両親への感謝の言葉
・何一つ親孝行せずに先に死んでいくことのお詫び
・国のために殉ずることは男子の本懐なので、悲しまないでくださいというメッセージ
・「父さんと母さんを頼む」「勉強頑張るんだよ」など、他の兄弟(あるいは親戚)への伝言
この4点は必ず書かれてありました。
自身の生死についてはまったくというほど頓着がなく、ただ残された家族のその後を案じている内容ばかりでした。
軍の検閲を意識したものなのか、本当に死を恐れなかったのか、その心中は本人にしかわかりませんが・・・。
(複数の特攻の生き残りの方の証言を聴くと、「死ぬのは当たり前だったから全然怖くなかった」と一様に同じことをおっしゃっていたので、それが大半だったのでしょうか)
中には十代とは思えない立派な辞世の句もあり、飛行技術だけでなく知識と教養もしっかり兼ね備えた少年だったんだな~と感じさせられたり・・・。知れば知るほど、本当に亡くなるのが惜しい人たちばかりだと思ってしまいます。
次に、パンフレットの写真を元に、他の展示品も紹介します。
極地戦闘機「雷電」のプロペラ
昭和20年6月、B29迎撃のため厚木基地から飛び立ち、P51群との空戦で被弾し墜落しました。
戦艦「陸奥」の舷窓
「陸奥」は昭和18年6月8日、柱島泊地で原因不明の爆発で沈没しました。
実習初日、艦務実習のため乗り組んでいた甲飛第11期13分隊133名中、124名が艦とともに没しました。この窓から脱出した生徒もいたそうです。
予科練卒業生や遺族から寄贈された日記・書簡類
みなさん字が綺麗だなと思いました。可能であれば、1ページずつゆっくり読みたいくらい。
寄せ書きの旗・制服
予科練の制服は7つボタンが目印となっていました。こうやって見ると、学ランってここから来てるんだな~って実感しますね。そりゃかっこいいはずです。(男子中高生の制服はどんどんブレザーに変わってきてますが)
雄翔園
次に、隣の雄翔園に出てみます。
予科練の碑建立に第6代学校長「岡 新次氏」が、予科練出身の英霊の鎮魂碑建立にあたり、予科練の碑及びその周辺を造園しました。
予科練之碑
予科練出身戦没者の霊璽簿が奉安されています。予科練には昭和20年までに24万人が入隊、うち18,564名が戦死しました。
碑文
予科練出身生存者による文なので、当時の軍事色が残る勇ましい文体です・・・。
太鼓橋が日本庭園っぽい。
「若鷲の歌」歌碑
予科練募集の宣伝目的で作られた映画『決戦の大空へ』の主題歌「若鷲の歌」。この曲が大ヒットし、予科練に憧れる少年たちが急増しました。
感想
雄翔館入ってすぐのところに遺族のメッセージのパネルがあり、その中の
「特攻隊で死んだ人をかわいそうと思わないでください」
「彼らの死を無駄死にだと思わないでください」
という言葉が胸に刺さりました。
それは、国に殉じた本人たちが一番強く願っていたことではないでしょうか。
平和な時代に生まれ育った自分の価値観からすると、戦争によって理不尽な亡くなり方をしてかわいそうと思ってしまいがちです。(さすがに無駄死にとは思いませんが)
しかし、この文を読んでからは、彼らの勇気をたたえ感謝の気持ちを持つことが、戦没者の供養になるのではないかと思いました。
「ありがとうございます」「安らかにお眠りください」「これからも平和な世の中が続くよう、自分にできることをしていきます」・・・予科練平和記念館、雄翔館、雄翔園を回って、この3つの言葉を胸に刻みました。
概要
所在地:茨城県稲敷郡阿見町青宿121-1 陸上自衛隊土浦駐屯地武器学校内(広報援護班)
TEL: 029-887-1171
開館時間:9:00~17:00(入館は16:30まで)
定休日:毎週月曜日(祝日の場合はその翌日)、12月29日~1月3日
料金:無料
アクセス
あみプレミアムアウトレットから10km弱なので、ついでに寄ってみてはいかがでしょうか?
電車・バス
JR常磐線「土浦駅」西口の1番バス乗り場から2種類バスが出ています。(10分から20分に1便程度運行)
・関東鉄道バス「阿見中央公民館」行きに乗車し、「阿見坂下」停留所(所要時間15分)で下車、徒歩3分
・JRバス「江戸崎方面」行きに乗車し、「阿見」停留所(所要時間15分)で下車、徒歩3分
※「阿見坂下」停留所、「阿見」停留所は同じ位置にあります。
車
・常磐自動車道 桜土浦ICから国道125号バイパスを利用約15分
常磐自動車道・桜土浦IC(霞ヶ浦方面出口)→国道125号バイパスを直進→「東京医大西」信号を左折
→丁字路「阿見坂下」信号を右折して200m先の左側道路沿い
・首都圏中央連絡自動車道(圏央道)牛久阿見IC・阿見東ICからそれぞれ約15分
圏央道・阿見東IC→県道34号線を直進→丁字路を左折(県道231号線)
→信号「香澄の里工業団地」を左折→国道125号バイパスを直進→「東京医大西」信号を右折→
丁字路「阿見坂下」信号を右折して200m先の左側道路沿い
※無料駐車場完備。(普通車用56台、大型バス用5台、身障者用3台)
終わりに
いかがでしたでしょうか?
この記事を読んで興味をお持ちになった方は、是非ご自身でも足を運んでみてください。
国のために殉じていった少年たちの存在を胸に刻み、平和や命の尊さについて考えてみませんか?