【YOSHIKIの母】YOSHIKIを育て、支えた7つの素敵エピソード

2022年5月、YOSHIKIのお母さん、林千恵子さんが亡くなられました。

ファンにとってYOSHIKIのお母さんの存在は身近に感じていたので、この知らせを聞いてとても悲しかったです。

当記事では、幼いころからずっとYOSHIKIを支え続けたお母さんのエピソードを紹介します。

「こんなお母さんがいたから、YOSHIKIは才能を存分に発揮して世界的アーティストになれたんだ」と知ってもらえたらと思います。

※本来は「お母さま」と表記するところなのですが、YOSHIKIがいつも愛情を込めて「お母さん」と呼んでいたのが印象的だったので、当記事では「お母さん」と書かせていただくことをお許しください。

目次

YOSHIKIのお母さんはどんな人だった? 生前の7つのエピソード

亡き父の分も子どもを愛した

YOSHIKIのご両親のなれそめは、お父さんがプロのタップダンサーだった頃、ダンスを見に来たお母さんと恋に落ちたのがきっかけ。(2022年5月18日に放送された、審査員として出演した「ダンス日本一決定選」でYOSHIKIが発言)

家業の呉服屋を継ぐため、お父さんはタップダンサーを辞めてしまいますが・・・。

YOSHIKIはそんなご両親のもと、千葉県館山市の裕福な呉服屋の長男として生まれました。

幼い頃は頻繁に入院するくらい体が弱かったのですが、そんなYOSHIKIを両親は愛情いっぱいに育てたそうです。

5年後には弟の光樹(こうき)さんが生まれています。

YOSHIKIが10歳の時お父さんが亡くなると、お母さんは呉服屋を継ぎ女手一つで切り盛りしました。

数年後には呉服屋を畳み、株や不動産の投資家として生計を立てるようになります。

YOSHIKIのお母さんは商才があるようで、息子たちを経済的に困らせることはありませんでした。

子どもたちが寂しい思いをしないよういつも明るく振る舞い、再婚することはなかったといいます。

誕生日プレゼントにドラムセットを購入

YOSHIKIの父は、生前YOSHIKIの誕生日に毎年楽器をプレゼントしていました。

4歳の誕生日はピアノ、10歳の誕生日はトランペットというふうに・・・。

お父さんが亡くなった後はお母さんがその習慣を引き継ぎ、KISSを聴いてロックに目覚めたYOSHIKIが「11歳の誕生日はドラムセットが欲しい」と言うと、すぐに買い与えました。

初めて手に入れたドラムセットは、スネアドラムにバスドラムが1つ、タムタムが2つ、フロアタムが1つ、シンバルが2枚というシンプルなもので、14歳の誕生日では「2つのバスドラムを叩き、より複雑なリズムを操りたい」と頼み、バスドラムが2つあるドラムセットを買ってもらっています。

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子どもに頼まれてポンとドラムセットが変えるなんて、それなりの経済力と理解がないとできないことですよね。

YOSHIKIの華麗なドラミングは、子どもの頃からの練習の賜物とも言えます。

このお母さんに育てられたから、”ドラマー・YOSHIKI”が生まれたと言っても過言ではないでしょう。

小6のYOSHIKIとKISSのコンサートへ

興味本位でKISSのレコードを買ったYOSHIKIですが、今までにない衝撃を受けすっかりKISSの虜になってしまいます。

「KISSのコンサートに行きたい」とねだると、お母さんは10歳のYOSHIKIと5歳の弟を連れ武道館に連れていってくれました。

ここで印象に残ったのが、お母さんは着物を着て、途中でお腹が空いてはいけないからと折り詰めの寿司を3つ買って行ったというエピソード。

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まるで歌舞伎鑑賞に向かうマダムのようですね。

舞台演出で花火が上がると幼い弟は驚いて泣き出し、お母さんは最後まで席を立つことなく、爆音の中で寿司を食べていたそう。

初めてのロックコンサートに驚いたお母さんは、「なんてところにお母さんを連れてくるのよ」と言ったそうです。

KISSのコンサートに感動したYOSHIKI少年は、「僕は決めた、絶対ロックスターになる」と決意しました。

後年、世界的ロックスターになったYOSHIKIは憧れのKISSを共演を果たしています!!

 

YOSHIKIとKISSは紅白でも共演しています!!

【X JAPAN・YOSHIKI 紅白歌合戦】歴代の出場回まとめ

不良少年だった息子との約束

中学1年のYOSHIKIは「髪が長い」という理由で教師に注意され、反抗的な態度を取るとその場で無理矢理坊主頭にさせられ、自分を押さえつけねじ伏せようとする大人の存在を知ったYOSHIKIは、学校や社会に対して激しく反抗するようになります。

外見は派手になり言葉遣いも変わり、不良グループに入ったりタバコを吸ったり校内暴力をしたりと、かなり荒れていたようです。

そんなYOSHIKIですが、お母さんとの約束はしっかり守りました。

「シンナーやドラッグに手を染めない、窃盗や暴行はしない、受験勉強はする」

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売られたケンカは買ってたそうですが・・・。

試験中は暴走族の集会にも英語の単語帳を持ちこんで勉強してたなんて、不思議な光景ですよね。(笑)

不良少年ながら勉強はしっかり続け、館山市内でも有数の進学校と言われる阿波高校へ入学しました。

エクスタシーレコード設立に尽力

高校卒業後、YOSHIKIはロックバンド「X」の成功を夢見て幼馴染みのTOSHIと上京。

バンドメンバーを集めインディーズでレコードのリリースを考えましたがレコード会社からオファーがなかったため、自分たちでリリースすることに決めました。

レコードを発売するための知識がなかったので、レコードのプレス工場、印刷工場、出版社、写植工房、レコード店などを訪ね歩き、レコード制作から販売ルートまで一から学んでいったそうです。

レコードの制作費用や売り上げの管理、税金の申告には会社組織が効率的であるということに気づき、お母さんに相談して休眠状態だった実家の呉服会社を業務変更し、1986年4月に「エクスタシーレコード」を設立させます。

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YOSHIKIは、20歳の若さで代表取締役に就任!!

会社設立の業務変更の事務上の手続きは、お母さんが済ませてくれたそうです。

同時にXのファーストLP「オルガスム」をリリース。

2年後の1988年、デビューアルバム『VANISHING VISION』をリリースする時には、お母さんに1000万円を借金するという仰天エピソードも・・・。

「そろそろバンドやめたら?」「そんなお金はない」と言ったお母さんですが、翌日には銀行口座に1000万円振り込まれていたそうです!!

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お母さん、息子の才能を信じてたんですね!!

エクスタシーレコードからはXだけでなく、のちにLADIES ROOMや、ZI:KILL、LUNA SEA、TOKYO YANKEES、GLAYらを輩出しています。


のちに彼らはメジャーデビューも果たし、エクスタシーレコードはヴィジュアル系バンドのメジャーへの登龍門的存在となったのはみなさんご存じのとおり。

お母さんの息子への理解と後押しがなければ、Xも後輩バンドたちも世に出なかったかもしれません・・・。

母の言葉がなければ「Anniversary」は生まれなかった!?

1997年年末X JAPANが解散、翌年5月にはギタリストのHIDEが急逝。

「もし自分がHIDEをXに誘っていなければ、HIDEは今も生きていたに違いない」

YOSHIKIは自分を責め、「ミュージシャンとして表舞台に出るのはやめよう」とまで思い詰めるようになっていました。

そんな時に突如舞い込んだ、「天皇陛下御即位50周年をお祝いする祝賀式典で演奏する曲を作曲し、演奏してもらえないか?」というオファー。

迷ったYOSHIKIが真っ先にお母さんに電話をかけると、こんな返事が返ってきました。

「素晴らしいご依頼をいただいたことに感謝して、やってみたらどう?」

お母さんから背中を押され、YOSHIKIは奉祝曲を作ることを決意、「A nniversary」を完成させ、祝典ではオーケストラと共にピアノを演奏して表舞台へとカムバックします。

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いかにYOSHIKIがお母さんを信頼していたのかわかりますよね。

「天皇陛下に失礼があってはならないから」と、本番に合わせてお母さんはYOSHIKIのピアノを新調したといいます。

こんなお母さんのもとで育ったから、YOSHIKIも上品な男性に育ったんだな~としみじみ思いました。

オファーした政治家や、親子揃っての園遊会出席、YOSHIKIと美智子皇后陛下(当時)とのエピソードなどを紹介

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YOSHIKIを禁煙させた一言

90年代はタバコをくわえるシーンを見かけることも多く、喫煙者のイメージが強かったYOSHIKI。

しかし、いつの間か禁煙していました。

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そのきっかけは、お母さんの一言。


YOSHIKIがお母さんに「誕生日プレゼント何がいい?」と聞くと、「何もいらないから禁煙してほしい」とお願いされ、スッパリとタバコをやめたそうです。

2005年ということは、YOSHIKIが40歳くらいの時ですね。

お母さんのために禁煙するYOSHIKIって、なんて親思いの息子さんなんでしょう・・・。

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終わりに

YOSHIKIのお母さんは、非の打ちどころのない本当に素晴らしい女性ですよね。

もっと長生きして、YOSHIKIの心の支えでいてほしかったです。

謹んでご冥福をお祈りいたします。

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