8月に入ると、TVなどのメディアで太平洋戦争に関する特集を見る機会が増えます。
普段あまり戦争や平和について考えることがない人も、この時期は意識することが多いのではないでしょうか?
当記事では、今まで私が訪れたことのある戦争関連施設をご紹介したいと思います。
戦争関連施設まとめ(国内)
広島や長崎の原爆資料館へはどちらも訪れたことがありますが、記事には残していないので今回は除外させていただきます。
当記事では、2019年2月に行った沖縄の3施設、同年8月に行った茨城県の2施設、2020年1月に行った東京の防衛省をまとめてご紹介します。
掲載の情報は2019年2月~2020月1月当時のものです。
新型コロナウィルスの影響で休館や営業時間短縮の可能性もありますので、見学の際は必ず事前に施設に問い合わせいただくよう、よろしくお願いします。
旧海軍司令壕(沖縄県豊見城市)
旧海軍司令壕は、昭和19年(1944年)日本海軍設営隊(山根部隊)によって掘られた司令部壕です。カマボコ型に掘り抜いた横穴をコンクリートと杭木で固め、米軍の艦砲射撃に耐え、持久戦を続けるための地下陣地で、4000人の兵が収容されていたそうです。
戦後放置されていましたが、数回に渡る遺骨収集ののち、昭和45年(1970年)3月観光開発事業団によって復元されました。当時450mあったと言われる壕のうち、現在は司令官室を中心に300mが復元されています。
那覇から近い場所にあるので、ここだけでも行っていただきたいと思います。
詳細レポはこちら:【沖縄】旧海軍司令壕 戦争の悲惨さと空しさを痛感した場所
ひめゆりの塔(沖縄県糸満市)
ひめゆり平和祈念資料館は、1989年6月23日、戦争の悲惨さや平和の大切さを後世に語り継ぐために開館されました。ひめゆり学徒の遺品、写真、生存者の証言映像、南風原の陸軍病院壕の一部や伊原第三外科壕内部を再現したジオラマなどを見ることができます。
修学旅行で行ったことある人も、大人になってから行ってみたらまた違う視点で見ることができるのではないでしょうか。
詳細レポはこちら:【沖縄】ひめゆりの塔 少女たちの生活と夢を偲ぶ
平和祈念公園(沖縄県糸満市)
平和祈念公園は本島南部の「沖縄戦終焉の地」である糸満市摩文仁の丘陵を南に望み、海岸線を眺望できる台地にあります。
公園内には、沖縄戦の写真や遺品などを展示した平和祈念資料館、沖縄戦で亡くなられた全ての人々の氏名を刻んだ平和の礎、戦没者の鎮魂と永遠の平和を祈る平和祈念像、摩文仁の丘の上には国立沖縄戦没者墓苑や、府県・団体の慰霊塔が50基建立されています。
国内外の観光客をはじめ、慰霊団、修学旅行生などが多く訪れる聖地となっています。
中央政府の思惑によって罪のない沖縄の多くの民間人が犠牲になったことは忘れてはならないし、その歴史を心に刻むためにこれらの施設に訪れるのはとても大切なことだと思います。
みなさんも沖縄に旅行した際は是非足を運んでみてください。
予科練平和記念館(茨城県阿見町)
現在の稲敷郡阿見町(いなしきぐんあみまち)は、1921年(大正10年)海軍が霞ヶ浦飛行場を開設、翌年霞ヶ浦海軍航空隊開隊という歴史があり、「東洋一の飛行場」として賑わっていました。
予科練は初め神奈川県横須賀市にありましたが手狭になったため、1931年(昭和14年)に阿見町に移転し、翌年には予科練教育を専門に行う土浦海軍航空隊が設置されました。
1945年(昭和20年)6月1日予科練教育凍結、同年6月10日空襲によって全焼、終戦により土浦海軍航空隊は解体されました。
予科練平和記念館は、時代に翻弄された彼らの貴重な資料を保存・展示するとともに命と平和の尊さを考えてもらうために設立されました。
彼らの存在を知ることは、戦争の愚かさ、非情さを知ることにも繋がります。
勇気ある少年たちの犠牲の元に今の平和な日本があること、過去にあった悲しい歴史を知り二度と繰り返さないよう、今できることをしなければ・・・。
後世を生きる者として強く思いました。
詳細レポはこちら:【茨城 阿見町】予科練平和記念館 空に憧れた少年たちを想う
雄翔館 雄翔園(茨城県阿見町)
予科練平和記念館の隣にある施設です。
雄翔館は予科練出身者により設立された記念館で、予科練戦没者の遺書・遺品約170点を収蔵、展示しています。
雄翔園には予科練之碑・歌碑等があり、国難に殉じた若人達の威徳を伝える庭園です。
それは、国に殉じた本人たちが一番強く願っていたことではないでしょうか。
平和な時代に生まれ育った自分の価値観からすると、戦争によって理不尽な亡くなり方をしてかわいそうと思ってしまいがちです。(さすがに無駄死にとは思いませんが)
しかし、この文を読んでからは、彼らの勇気をたたえ感謝の気持ちを持つことが、戦没者の供養になるのではないかと思いました。
詳細レポはこちら:【茨城 阿見町】雄翔館 雄翔園 予科練戦没者が残したメッセージ
防衛省(東京都新宿区)
防衛省が実施している「市ヶ谷台ツアー」に参加することで、一般人でも一部を見学することができます。(※事前予約制)
現在使われている防衛省の施設だけでなく、歴史的価値の高い市ヶ谷記念館も見学コースに含まれています。
午前の見学コース例:
正門 → 儀仗広場(西側)→ 市ヶ谷記念館→ 儀仗広場(東側)→ 正門
午後の見学コース例:
正門 → 儀仗広場(西側)→ 市ヶ谷記念館→ 儀仗広場(西側)→ 儀仗広場(東側)→ 大本営地下壕跡 → 正門
ー市ヶ谷記念館とはー
庁舎A棟のある場所にあった「1号館」の一部を同駐屯地内薬王寺門付近に移設復元したもの。
旧1号館は、1937年に陸軍士官学校本部として建設され、陸士の座間移転後は陸軍予科士官学校本部となり、さらに予士の朝霞移転後の太平洋戦争中は陸軍省・参謀本部(大本営陸軍部)などが置かれていた。
同館大講堂(陸士大講堂)は極東国際軍事裁判の法廷として使用された。
1960年からは陸上自衛隊東部方面総監部が使用、1970年に三島事件の現場ともなった。
防衛庁本庁の新庁舎建設・移転に伴い解体されたが、便殿の間(天皇の陸士行幸時に利用した部屋)や校長室(陸軍省時代は陸軍大臣室)を含む本部正面・車寄せや大講堂といった一部分のみを残し、1998年に現在の場所に移設された。
また、広報展示室の自衛隊の仕事ぶりを見て、改めて国防や自衛隊の大切さ、ありがたみなどを実感しました。
有休を取ってでも、是非見に行っていただきたい施設です。
詳細レポはこちら:【防衛省見学ツアー】極東軍事裁判や三島事件の現場を体験
終戦をテーマにした映画「日本のいちばん長い日」
以上が、戦争関連施設レポをまとめてみました。
「コロナでお出かけ自粛中、でも戦争について考えたい」という方は、「終戦」がテーマの映画「日本のいちばん長い日」がオススメです。
ーあらすじー
広島と長崎への原爆投下やソ連の参戦など、日本の敗戦が決定的となった昭和二十年八月、特別御前会議でポツダム宣言の受諾が正式に決定した。
だが終戦に反対する陸軍将校たちはクーデターを計画、一方、終戦処理を進める政府は天皇陛下による玉音放送を閣議決定する。
終戦反対派は各部隊ごとにバラバラに行動を開始、やがて終戦を受け入れようとする師団長を射殺したり、玉音放送を中止すべく録音物を奪取しようとするなど、その行動が徐々にエスカレートしていく。
当作品は、御前会議、玉音放送までの詔書作成、宮城事件、鈴木首相宅焼き討ち、厚木航空隊事件、児玉航空基地での特攻隊出撃シーン等を絡めつつ8月15日正午の玉音放送までを描く・・・という構成になっています。
終わりに
戦争施設関連レポ、および映画「日本でいちばん長い日」の紹介は参考になりましたか?
8月は戦争と平和についてじっくり考えて、先人の感謝と供養の気持ち、そして後世の者として平和を守り抜く気持ちを強く意識していただきたいと思います。