当記事では、イランのペルセポリスをご紹介します。
イラン 世界遺産ペルセポリス アケメネス朝の宗教都市
ペルセポリスの歴史
ペルセポリスはシラーズの北東52kmのタクト・ジャムシッドの近くにあります。
紀元前518年アケメネス朝の王ダレイオス1世が建築に着手し、その子クセルクセス1世によって完成された約12万5000㎡の都です。
ギリシア語で「ペルシアの都市」という意味でペルセポリスと呼ばれているが、イランでは「タフテ・ジャムシード(ジャムシード王の玉座」と呼ばれています。
行政上の首都はシューシュでしたが、即位式やノウルーズ(春分)の祭祀など重要な儀式を行う都としてペルセポリスは栄えました。
西はエジプト、東はインドまで勢力を伸ばしたアケメネス王朝でしたが、紀元前331年アレクサンドロス大王の軍によってペルセポリスは陥落、百柱の間より出火し、宮殿は廃墟に化しました。
アレクサンドロス大王は神殿に残った財宝を運び出すために1万頭のロバと5千頭のラクダを使ったといわれています。
現在、ペルセポリスはイランの観光地の中でも最大の見どころのひとつで、1979年ユネスコの世界遺産にも登録されました。
遺跡ファンの間では、ヨルダンのペトラ遺跡、シリアのパルミラ遺跡とともに「中東の3P」と呼ばれてるそうです。
ペルセポリス体験レポ
朝8時過ぎにシラーズのローズモスクを見学後、1時間ほどバスで移動してペルセポリスに着きました。
ペルセポリスの入場ゲートを入って、目に飛び込んできた風景。
前方の塀にVの字に広がった大階段があって、入口は左方向の階段から行きます。
左下の大階段を上って、時計回りに進む感じです。
階段を上って少し歩くと、クセルクセス門(正式名称:万国の門)がお出迎え。
右からのアップを撮ってみたり。
顔が削り取られちゃってますね。
これはクセルクセス門を後ろから撮ったところ。(多分)
双頭のワシ・体がライオンという伝説上の鳥はイランに伝わる「ホマ鳥」で幸福を意味するそう。
こちらはお馬さん。
ここから百柱の間とかアバダナ(謁見の間)に向かいます。
玉座に座っているのは王様で、後ろにいる従者が王様のために傘を掲げている・・・と聞いた記憶があります。
遺跡内でよく見かける、牡牛にライオンが嚙みついているレリーフ。
ライオンが夏、牡牛が冬の象徴で、ライオンが牡牛を襲っているのは春分を表しているそうです。
レリーフの大半は色んな国の使節たちがペルシャに貢物を運んでくる様子を描いています。
エチオピアやエジプト、インド、マケドニアなど国の数は23にも及んだそう。
「使節団の人々の服装や持ち物から、どこの国の人なのかわかる」とガイドさんが丁寧に説明してくれました。
なんて書いてあるのかわからないけど、とりあえず撮ってみた碑文。
「山の中腹にあるアルタクセルセスの墓に行きたい人は案内しますよ」とガイドさんが言うので、みんなで一緒に登りました。
王墓がだんだん見えてきましたね。
アルタクセルセスの墓に到着。
残念ながら、中には入れません。
山の上から遺跡を見下ろした図。
中央が百柱の間(玉座殿)、右奥がアバダナ(謁見の間)
かつては数百本も立っていた石の柱が、今では 20本足らずしか残っていないそうです。
山を下りて平地に戻り、ガイドさんたちとは一旦解散して自由時間開始。
レリーフゾーンを通り抜けて、入口側にあるアバダナ(謁見の間)方面を見てみることにしました。
ここの壁にも綺麗にレリーフが残ってます。(近くに行ってじっくり見る余裕はない)
これだけ見ると「ギリシャのアクロポリス」って言いたくなるけど、ポリス違いなんですね~。(笑)
なんだかんだで紀元前の柱がこうやってしっかり残ってるのはすごいと思います。
炎天下の中、お疲れ様でした♪
ペルセポリス概要
所在地:Fars Province, Shiraz, Shiraz – Persepolis, Iran
電話番号:+98-714-3341553
営業時間・休業日・入場料は変更する可能性はありますので、直接施設にお問い合わせください。
終わりに
世界遺産・ペルセポリスは、イラン観光には欠かせない人気の観光スポットです。
アケメネス朝ペルシアの名前ぐらいしか知らなかった私ですが、遺跡好きなので楽しく見ることができました。
これから行く予定の方は、事前に予習していくか、ベテランのガイドさんと一緒に行くことをオススメします。