【X JAPAN】HEATHの訃報 生前のエピソードや映像

2023年11月7日の夜、X JAPANのベーシストHEATHの急逝を知りました。

この訃報を見た時、「嘘でしょ?」と思わず声が出てしまいました。

あまりにも急すぎて、本当に信じられない。

いてもたってもいられなくて、Xファンとして今の気持ちを書こうと思いました。

当記事では、HEATHのプロフィールや生前のエピソード紹介、訃報が出るまでの時系列と公式発表、HEATHへ感謝の思いを綴っていきたいと思います。

目次

突然すぎるHEATHの訃報

HEATHのプロフィール

ここからHEATHのプロフィールをご紹介したいと思います。

Sayulist
heathのソロ活動で一番に思い出されるのは、アニメ「名探偵コナン」の主題歌となった「迷宮のラヴァーズ」ではないでしょうか。

【プロフィール】
本名:森江 博 (もりえ ひろし)
1968年(昭和43年)1月22日生まれ。
兵庫県尼崎市出身。
血液型はB型。
ソロ活動時の名前は「heath」、X JAPANでは「HEATH」。愛称は「ひーちゃん」。
【来歴】
1992年5月中旬、Xに加入決定。
1992年8月24日、アメリカのロックフェラーセンターにて、HEATH加入とX JAPANへのバンド名変更を発表。
1995年2月22日、ソロ活動開始、BOX『heath(CD+VHS 50000セット限定BOX) 』発売。
1996年10月7日、ソロシングル「迷宮のラヴァーズ」発売。
1997年2月19日、ソロシングル「Traitor」発売。
1997年9月22日、X JAPAN解散記者会見。
1997年12月27日、ソロPV集『heath all of films 1995.2.22-1997.12.31』発売。
1997年12月31日、X JAPAN解散ライブ。
1998年4月22日、ソロマキシシングル「Crack yourself」発売。
1998年6月6日、大阪O-CATホールにてheath talking gig開催。
1998年6月10日、ソロアルバム『GANG AGE CUBIST』発売。
2000年、hide with Spread BeaverのI.N.A、X JAPANのPATAと共にDope HEADzを結成。
2003年2月末、Dope HEADz活動休止。
2003年12月29日、鈴木慎一郎とRATSを始動。
2004年8月29日、RATS活動休止。同年、DER ZIBETのISSAYとLynxを結成。
2005年、通販による7年ぶりのソロシングル3作をリリース。
2007年2月24日、ソロ活動開始15周年、X JAPAN解散後としては初のワンマンライブ開催。
2007年10月22日、X JAPAN再結成イベント。アクアシティお台場にて「I.V.」PV撮影。
2008年3月28日〜30日、東京ドームにてX JAPAN 3 DAYSライブ『X JAPAN 攻撃再開 2008 I.V.〜破滅に向かって〜』開催。
(28日『〜破壊の夜〜』 29日『〜無謀な夜〜』(追加公演) 30日『〜創造の夜〜』)
2008年5月4日 X JAPANとしてhide memorial summit(hide十周忌追悼ライブ(多数のバンドやミュージシャンが出演のライブ))に出演(hide memorial summitは5月3日と5月4日に開催)。
2008年7月5日のパリ、8月2日の台北、9月13日のニューヨークのX JAPANの公演の発表後、世界各国から公演依頼が殺到し、2008年6月現在発表している以外の日本を含め、全世界を回る大規模なツアーを予定していたが、YOSHIKIの持病の頸椎椎間板ヘルニアと腱鞘炎が悪化した為、全公演の延期を決定。X JAPANの活動再開は未定になったが、その後YOSHIKIの病状が回復したためパリ公演を同年11月22日に行うことが決定した。
2023年8月20日、YOSHIKIのディナーショー「EVENING / BREAKFAST with YOSHIKI 2023 in TOKYO JAPAN 世界一豪華なDINNER SHOW」最終日に特別ゲストとして登場し共演を行った。NEWSポストセブンによると、2023年に入り彼は健康が悪化し、病院で受診した頃には既にがんがかなり進行している状態が発覚し、同年10月下旬までに死去。55歳没。
彼の死は急な知らせであり、バンドメンバーたちには病名や闘病中であることさえも知らされていなかった。
YOSHIKIは訃報を知って、アメリカで控えていたジャパン・ソサエティー栄誉賞授賞式をキャンセルしてHEATHのもとへ駆けつけた。

こちらは、2023年8月20日、HEATHがYOSHIKIのディナーショーにゲスト出演した時の動画です。

二人が5時間も長電話したというエピソードにはホッコリしましたが、YOSHIKIに体調を気遣われ「ご覧の通り元気です」といった返事や、「是非みなさんと東京ドームでまたみなさんとお会いしたいです」というHEATHの言葉には胸が締め付けられました。

X JAPANとしてステージに立つHEATHをもっと見ていたかったです・・・。

訃報が出るまでの時系列

2023年11月2日、「YOSHIKIが身内の不幸で緊急帰国」という報道が出ました。


YOSHIKIの身内ということで、実弟であり株式会社エクスタシーレコード代表取締役の林光樹さんはたくさんの人から心配されたそうです。

光樹さんが元気なことが確認されると、10月19日に脳幹出血のため急逝したBUCK-TICKの櫻井敦司さんのために帰国したのか?というファンの声も聞こえました。

そんな中、目に飛び込んできた女性セブンのHEATHの訃報。

X(旧Twitter)を追っていると、アーティストや音楽関係者が続々と彼の訃報について投稿をしているのを目にするようになります。

みなさん報道で知ったようで「信じられない」といった反応です。

もしかしたら、HEATHの訃報はX JAPANのメンバーにだけ伝えられたのかもしれません。

Toshl、PATA、SUGIZOのX(旧Twitter)を確認してみました。

SNSをお休みしていたToshl。

11月4日に誕生日を迎え、祝福を受けるPATA。
その胸中は複雑だったのではないでしょうか。

「全ての瞬間が奇跡の集積」というSUGIZOの言葉が胸に沁みます。

こちらは当日のLUNA SEAのライブに参加されてた方の投稿ですが、後になって「HEATHのことも言ってたんだ」と気づくLUNA SEAファンも多かったようです。

2023年11月11日 公式発表

2023年11月11日、X JAPAN公式サイト、HEATHの公式サイトの両方から、HEATHの訃報を伝える発表が出されました。

X JAPAN公式サイト:http://www.xjapan.com/index.html

HEATH公式サイト:https://heathproject.com/

以下の文章は、HEATHの公式サイトより引用させていただきました。

皆様へ大切なお知らせ

悲しいお知らせをさせていただかなくてはなりません。
X JAPAN のベーシストである HEATH が
令和5年10月29日 大腸がんのため55歳で永眠いたしました。
6月に病院での検査で大腸がんが発見され、闘病生活を送っておりましたが
10月に入り容体が急変し、入院先の病院で息を引き取りました。
ここに皆様からの生前のご厚誼を深謝し、故人に心から哀悼の意を表しますとともに
謹んでご通知申し上げます。

X JAPANメンバーは全員、HEATHと直接お別れをしましたが
突然のことでメンバー、関係者一同、まだ気持ちの整理がついていない状態です。

ご遺族の意向に沿い、葬儀後に皆様へのご報告を予定しておりましたが
一部メディアでの報道により、急遽予定から前倒す形でのお知らせとなりました。

葬儀につきましては、近親者のみにて執り行わせていただきます。
親族のみの家族葬となりますため
誠に勝手ながら、ご弔問ご香典ご供花などはご辞退申し上げます。
葬儀日程につきましても、非公表とさせていただきます。
何卒ご理解賜りますようお願いいたします。

HEATHの冥福を祈ると共に、これまで応援してくださった皆様に心より感謝申し上げます。
後日、お別れの会を執り行う予定でおります。

生前、HEATH 本人がすべてをリーダーであるYOSHIKIさんに一任したいと
語っていたことをご遺族を通じてYOSHIKIさんご本人にお伝えし、ご承諾いただいております。
時期や詳細につきましては改めてお知らせさせていただきます。

X JAPANのメンバーからのメッセージも掲載されていたので、お伝えしたいと思います。

<YOSHIKI コメント>

まだ気持ちの整理がつかず、どう言葉にすればいいのかわかりません。
YOSHIKI としてのコメント、そして X JAPAN のリーダーとしてのコメントを
どのように区別すれば良いのかもわかりません。
NY での公演とイベントを終えた直後に、HEATH の訃報を聞きました。
HEATH に会いに行くため、東京へ飛びました。
HEATH は、HIDE に紹介されて 1992 年に X JAPAN へ加入しました。
ニューヨークのロックフェラー・センターで加入発表の記者会見を行い
最初のコンサートは東京ドーム。
最初のテレビ出演は紅白歌合戦。 そんな凄まじい状況の中
計り知れないプレッシャーを感じていたと思いますが
彼はいつも最善を尽くして、X JAPAN を支え続けてくれました。
バンドを再結成した後は、アメリカ、ヨーロッパ、南米、アジアと
世界中を一緒に回りました。
TAIJI の最後となったステージで、彼と一緒にベースを演奏することを提案したときも
HEATH は快く引き受けてくれました。
彼は、バンドのメンバーとしても、人としても、本当に最高のベーシストでした。
特に、この 1 年は、今まで以上に HEATH との距離が近くなってました。
昨年の自分の誕生日、自分の番組に出てくれた時、 収録後の控室で
今までにないほど長い時間、色々なことを話しました。
それ以来、明け方まで二人で何時間も電話で語り合ったこともありました。
今年の 8 月 20 日には、僕のディナーショーにも来てくれました。
まさかその日が、HEATH と一緒に立つ最後のステージになるとは思ってもいませんでした。
HEATH の望みを叶えられなかったのは、全て自分の責任です。
最後のお別れの場で、HEATH に謝りました。
YOSHIKI としては、あまりの悲しみで身も心もボロボロで
今は言葉が上手くまとまりません。
今立ち止まったら、これ以上歩けなくなる気がして
ひたすらに、怒涛のスケジュールをこなしています。
ただ、バンドのリーダーとしては、最後に果たさなくてはいけない責任が残っています。
「しんみりしないでください。明るく楽しく見送っていただきたい」
「メモリアルコンサートを YOSHIKI さんにやっていただきたい」
これは、ご遺族より預かった HEATH からの言葉の一部です。
これから親族の方たちと話し合い、HEATH の願いを実現させるしかないと思っています。
そして、それを実現させるには、戦わなくてはならないことがいくつかあります。
HEATH への想いは、語ればきりがないです。感謝してもしきれません。
心の整理ができたときに、改めて伝えたいと思います。
HEATH、今までありがとう。そして、安らかに眠ってね。
またいつか、一緒に音楽を奏でようね。

 

<Toshl コメント>

今は想いをとても言葉にすることができません。
HEATH 心から ありがとう。
龍玄とし

 

<PATA コメント>

残念すぎるよ。まだ一緒に演りたかったな。
俺は、もーちょっと頑張るから応援してくれ。
ただ今は、安らかに。

 

<SUGIZO コメント>

かけがえのない盟友、HEATH。
信じられない。ずっと闘病していたなんて。突然逝ってしまうなんて。
心が張り裂けそうです・・・。
バンド仲間として出逢って 32 年、バンドメイトとなって 15 年。
君との時間は眩い思い出ばかり。
また一緒にステージに立ちたかった。 続きの景色を見たかった。
君は誰よりもストイックで、鉄壁で、孤高のベースプレイヤーだった。
リスペクトしかなかった。
かけがえのない盟友、HEATH。
1年前、最後に一緒に立ったステージは生涯忘れない。
長い間本当にありがとう。そして本当にお疲れ様。どうか安らかに・・・。
いつか、そちらでまた一緒に音出そうね。

HEATH生前のエピソードと映像

Xファンの方にはお馴染みのものも多いかと思いますが、HEATHの生前のエピソードや映像を共有したいと思います。

・1990年、HEATHとhideの間に共通の友人がいたことがきっかけでHEATHがXの打ち上げに参加。Xメンバーと知り合う。

・hideに「東京に出てこい」と誘われ、実家には軽く「東京行ってくる」とだけ言い残して、ベース2本とボストンバックで新幹線に乗り込んだ。本当に上京したHEATHを見て、hideは驚いたという。

・1992年、TAIJI脱退によりXは新たなベーシストを探し始める。hideの誘いにより、HEAHTはX JAPANの音出しに参加。セッションしたのは、「Standing Sex」「BLUE BLOOD」「ENDLESS RAIN」「Joker」「Sadistic Desire」の5曲。

・アメリカ進出後、ロサンゼルスのアパートでhideの向かいの部屋に住んでいた時のこと。
酔っぱらったhideがアパートの廊下の非常ベルを鳴らし、HEATHの部屋に逃げ込んだ。
消防隊員がHEATHの部屋をノックして大変だったが、コーディネーターの人が来てくれてその場はなんとか納まった。
hideはHEATHのベッドで爆睡していたため、HEATHはソファで寝たという。
翌日は「ART OF LIFE」のベース録りだった。

Sayulist
こんな状況でもちゃんと仕事をこなすHEATH、さすがですね。

・HEATHの加入が決まると、嬉しくなった勢いでメンバーみんなでマザー牧場に行った。雨の中ゴーカートに乗ったりBBQをしたそう。

Sayulist
マザー牧場に行ったエピソードは、こちらの動画の0:28から話しています。

 

・加入後初めてのレコーディングが「ART OF LIFE」、初めてのライブが東京ドーム、初のテレビ出演が紅白歌合戦。

Sayulist
この大物エピソードについては、こちらのインタビューの0:14から語っています。

モンスターバンドX JAPANのベーシストとして、新人ながら見事大役を果たし、その努力と度胸はすごいとしかいいようがありませんね。

3:54~、誕生日を迎えたHEATHがYOSHIKIからバースデーケーキを贈られるシーンが。

PATAの健康を気遣う話や、誕生日の願い事を聞かれて「コンサートがやりたいです」と答えるHEATHの言葉に胸が張り裂けそうになりました。

最後の方でYOSHIKIがSUUMOのCM出演の話をしていたので、2020年頃の収録だと思われます。

たった3年後にこんな悲劇が訪れるなんて、誰が想像できたでしょう・・・。

HEATHへの感謝の思い

私がXのファンになったのは1992年のこと。

ちょうどHEATHが加入・バンド名をX JAPANと改名した後でした。

hideファンだった私は当時中学生だったということもあり、TAIJIの後任を担うHEATHの重圧など知る由もなく、ただただhideを追いかけていました・・・。

2009年、hideの後継者としてSUGIZOがX JAPANのギタリストとして加入します。

SUGIZOの加入を決意するまでの苦悩や覚悟をインタビューで読んだ時、そこで初めて「HEATHがいたから、今までX JAPANは続いてたんだ」とその存在の偉大さに気づいたのでした。

【インタビュー】SUGIZO「HIDEさんだったらこう弾いただろうな」text by BARKS

Sayulist
今思えば、2010年のTAIJIとHEATH共演のライブに行けたこと、本当に幸運だったと思います。

 

Youtubeで動画を見ていたら、1997年のThe Last Live前夜のHEATHのインタビュー音声が出てきました。

HEATHの声って穏やかで優しくてこんなに癒される声なんだ・・・って気づいて泣きそうになりました。

いきなりXというすごすぎるバンドに加入して、TAIJIの後継という大きなプレッシャーの中、本当にここまでよく頑張ってくれたと思うし、解散が決まっても変わることのない、バンドへの強い愛を感じてジーンとなりました。

 

Sayulist
今夜はHEATHが「一番大変だった」と語っていた「ART OF LIFE」の映像を見て、思いを馳せたいと思います。

HEATHのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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この記事を書いた人

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